チーズ牛丼

説教

ルカ福音書9章46~48節『チー牛』と呼ばれる人も救われる

本日、説教題にあえて、チー牛(ちーぎゅう)という言葉を上げさせて頂きました。元はチーズ牛丼の略です。2008年頃あるインターネット掲示板で、就労支援をはじめとして行政支援を受ける弱者男性の外見を「チーズ牛丼を食べてそう」と嘲るように投稿したのが初出です。根暗な人、オタクの人、弱者男性 を揶揄する時に使われる言葉です。21世紀の日本にイエス様がこられて同じようにルカの福音書9章の場面に出くわしたら、イエス様は誰を手に取り、ご自分の側に立たせるでしょう、私は「チー牛」と呼ばれる成人男性をむしろ側に立たせるのではないだろうかと思うのです。
お知らせ

『チー牛』と呼ばれる者でも救われる

ふざけたような説教題に見えるかもしれないが実は大真面目である。今回、説教題に用いたのは「水牛」ならぬ、「チー牛」である。水牛神学を知っている層はチー牛をしらず、現代における被差別階層であるチー牛もまた多くは水牛神学はおろか、神学 も キリスト教 も知らないでいる。21世紀の日本のキリスト教会は現代社会の狭間に落ち込んだ真の弱者に救いの手を差し伸べるべきだろうが、本当の弱者であるチー牛たちに届く言葉を持たないばかりか、本当の弱者であるチー牛を認識もせず、チー牛と呼ばれる人たちがいることすら、その言葉すら認識されていないのである。これはゆゆしき事態だ。