牧師室から

時事問題

輸血を「解禁」したなら、禁じた責任も引き受けよーエホバの証人の教義変更と、統治体に問われる責任

2026年9月18日、エホバの証人の統治体は、他人の血液に由来する赤血球、白血球、血漿、血小板を受け入れるかどうかを、個人の良心に委ねると発表しました。成分や分画を提供する目的での献血も個人の判断となります。全血輸血の禁止は維持されているので、「輸血の全面解禁」ではありません。しかし、日本赤十字社によれば、医療機関への供給数は赤血球・血漿・血小板製剤でほぼ100%を占め、全血製剤はほとんど使われていません。日本の医療の実態に照らせば、今回の変更は「事実上の輸血解禁」と評価できる大きな転換です。
サブカルを神学してみた

Kvi Baba「Friends, Family & God」を神学してみた。―教会が知らないところで、若者は「神様ありがとう」を聴いている

Kvi Babaは1999年、大阪府茨木市生まれのラッパー、シンガーソングライターです。孤独、不安、自己嫌悪、家族の崩壊。自分の内側にある暗い感情を隠さず、それを歌とラップの間を行き来するような独特の声で表現してきました。2019年にEP『Natural Born Pain』を発表。直訳すれば「生まれながらの痛み」です。そして2023年、トイズファクトリーからメジャー1stアルバムを発表します。タイトルは、なんと『Jesus Loves You』。
サブカルを神学してみた

スヌーピーを神学してみた(4)―かぼちゃ大王は来なかった。でも、ルーシーは来た

『ピーナッツ』をあまり知らない方のために説明しておきます。ライナスには、少し変わった信仰があります。毎年ハロウィーンの夜になると、世界でいちばん「誠実な」かぼちゃ畑から、かぼちゃ大王が現れる。そして、よい子どもたちにおもちゃを届けてくれる――彼はそう信じています。友だちは仮装して、お菓子をもらいに町へ出かけます。しかしライナスは畑に残ります。毛布にくるまり、夜空を見上げ、かぼちゃ大王を待ち続けるのです。しかも、自分一人で信じるだけではありません。チャーリー・ブラウンの妹サリーを誘い、とうとう一緒に待たせてしまいます。
サブカルを神学してみた

スヌーピーを神学してみた(3)―負け続けるチャーリー・ブラウンは、ヨブだったのか

チャーリー・ブラウンほど、報われない主人公も珍しいでしょう。野球をすれば負ける。凧を揚げれば木に引っかかる。勇気を出してフットボールを蹴ろうとすれば、ルーシーが直前にボールを引っ込める。憧れの赤毛の女の子には、なかなか声さえかけられません。普通、物語の主人公は成長します。最初は弱くても、特訓して強くなる。失敗を重ねても、最後には成功する。だから私たちは安心して見ていられます。「いまは負けているけれど、この失敗はきっと最終回の勝利につながる」と思えるからです。ところが、チャーリー・ブラウンは、何十年たってもボールを蹴らせてもらえません。いや、そろそろ学習しようよ。読者はそう思います。しかし彼は、次の秋になると、またルーシーを信じて走り出すのです。そんな彼を見ていると、聖書に出てくる一人の人物を思い出します。ヨブです。
サブカルを神学してみた

スヌーピーを神学してみた(2)―聖書を教えた漫画家は、なぜ教会から離れたのか

スヌーピーと聞いて、まず「キリスト教」を思い浮かべる人は、たぶん少ないでしょう。白い犬。赤い屋根。黄色い鳥。マグカップに文房具。かわいくて、少しとぼけていて、ときどき妙に人生の核心を突いてくる。けれども、その犬を生み出したチャールズ・M・シュルツは、一時期、教会で聖書を教えていた人でした。それだけ聞けば、話は簡単です。「なるほど。『ピーナッツ』は、敬虔なクリスチャン漫画家が描いたキリスト教漫画だったのか」しかし、調べていくと、そんなにきれいにはまとまりません。彼は教会に熱心に通い、聖書研究を導き、テレビ局が難色を示してもクリスマス物語から聖書を外しませんでした。その一方で、晩年には教会から距離を置き、自分を「世俗的ヒューマニスト」と呼んでもいます。熱心な信仰者だったのか。信仰を捨てた人だったのか。たぶん、その二択で人間を理解しようとすること自体が、少し乱暴なのです。
サブカルを神学してみた

スヌーピーを神学してみた。(1)聖書で「盗み食い」を正当化した犬

牧師という仕事をしていると、「聖書にこう書いてあります」という言葉の強さを、嫌というほど知ることになります。説教でも、教会のミーティングでも、何かを決めるときに聖書の言葉が示されると、それだけで話が決まったような空気になることがあります。何しろ、こちらは人間の意見ですが、向こうは神の言葉です。「私はそう思いません」とは言えても、「神様、それはどうかと思います」とは、なかなか言えません。ところが、です。聖書の言葉を口にしているからといって、その使い方まで正しいとは限りません。自分の考えを聖書に従わせるのではなく、自分に都合のよい聖句を探して、聖書の方を自分に従わせてしまうことがあるからです。そんな、かなり深刻な聖書解釈の問題を、世界一有名なビーグル犬が見事にやってのけた漫画があります。スヌーピーです。
時事問題

「弱者なら正義なのか――被害者ムーブを神学してみた」

セクハラやパワハラは軽んじられてよいものではありません。立場の強い者が、その権力や影響力を用いて、弱い立場の人を傷つけるなら、それは厳しく問われるべきです。聖書もまた、孤児、寡婦、寄留者、貧しい者を守るように何度も命じています。神は、弱い者の叫びを聞かれるお方です。しかし、ここで一つ注意しなければならないことがあります。聖書は、「弱い立場にいる人は、いつも正しい」とは教えていません。
教会と国家

国旗は罰し、十字架は赦す 国旗損壊罪を神学してみた

2026年6月、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党は、国旗損壊罪を創設する法案を共同で衆議院に提出しました。法案では、対象となる国旗を「国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」とし、著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で、公然と損壊、除去、汚損した者に対し、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すとされています。つまり、この法案が成立すれば、本物の日の丸を尿瓶に入れて尿に浸し、それを公然と見せるような行為は、国旗の「汚損」と評価され、処罰対象になる可能性が高いと考えられます。一方で、キリスト教世界には、これと非常に対照的な出来事があります。アメリカの写真家アンドレス・セラーノは、1987年に《Piss Christ》という作品を発表しました。これは、プラスチック製の磔刑像を尿に浸して撮影した写真作品です。多くのキリスト者から強い批判を受けた作品ですが、そのセラーノは2023年6月、バチカンで教皇フランシスコと面会した約200人の芸術家の一人でした。
時事問題

死海の水を神学してみた。水を奪う国から水を分かち合う国へ

聖書の族長物語には、井戸をめぐる争いが何度も出てきます。アブラハムとアビメレクの間にも井戸をめぐる緊張がありました。イサクの時代にも、ゲラルの羊飼いたちと井戸をめぐって争いが起こりました。イサクはその井戸を「エセク」、つまり「争い」と名づけ、次の井戸を「シトナ」、つまり「敵意」と名づけました。そして、ようやく争われない井戸を得たとき、「主が今や、我々の場所を広げてくださった」と言い、その井戸を「レホボト」と呼びました。古代の族長たちにとって、水は単なる生活資源ではありませんでした。水は命であり、家畜であり、土地であり、未来でした。水がなければ、家族も群れも生きられません。だから井戸は、時に戦争の理由になりました。
サブカルを神学してみた

保護中: チ。原作10話を神学してみた。バデーニの目はなぜ焼かれたのか? 

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