教会と国家

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国旗は罰し、十字架は赦す 国旗損壊罪を神学してみた

2026年6月、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党は、国旗損壊罪を創設する法案を共同で衆議院に提出しました。法案では、対象となる国旗を「国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」とし、著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で、公然と損壊、除去、汚損した者に対し、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すとされています。つまり、この法案が成立すれば、本物の日の丸を尿瓶に入れて尿に浸し、それを公然と見せるような行為は、国旗の「汚損」と評価され、処罰対象になる可能性が高いと考えられます。一方で、キリスト教世界には、これと非常に対照的な出来事があります。アメリカの写真家アンドレス・セラーノは、1987年に《Piss Christ》という作品を発表しました。これは、プラスチック製の磔刑像を尿に浸して撮影した写真作品です。多くのキリスト者から強い批判を受けた作品ですが、そのセラーノは2023年6月、バチカンで教皇フランシスコと面会した約200人の芸術家の一人でした。
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100年間人口調査すらできない国 レバノン

イスラエルがレバノン南部で作戦を続けている、と聞くと、多くの日本人は「またイスラエルが隣国レバノンに攻め込んでいるのか」と受け止めるかもしれません。しかし、レバノンは、日本人が何となく想像しているような「普通の国」ではありません。レバノンは、最初から宗教的にも政治的にも、非常に危ういバランスの上につくられた人工的な国家でした。レバノンでは、1932年を最後に、宗派別の公式な国勢調査が行われていません。、ほぼ一世紀にわたって「国民がどの宗派に何人いるのか」を数えることすら政治的に危険すぎる国なのです。
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自由で開かれたインド太平洋を神学してみた

「海は誰のものか」。この問いは、古いようでいて、実はきわめて現代的な問いです。今日、日本を含む多くの国々は「自由で開かれたインド太平洋」という言葉を用いています。けれども、その根底にある問いは意外なほど単純です。海は、力ある国が囲い込んでよいものなのか。それとも、国々の共有の通路として開かれているべきものなのか。この問いに、近代の初めに大きな答えを出した人物が、フーゴー・グロティウスです。日本では「国際法の父」と呼ばれることが多い人物です。彼は単なる法律家ではありません。オランダの人文主義者であり、法学者であり、外交官であり、そして神学者でもありました。しかも彼はプロテスタント教徒でした。その彼が、カトリック帝国による海の独占を批判し、「海は自由である」と主張したのです。
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昨今のディスペンセーション神学指弾にみる蹄鉄理論

政治学の用語に「蹄鉄理論」というのがあります。政治上の、右と左を一直線の両端に置くのではなく、むしろ対極の立場にあるように見える、極右と極左は、かえって蹄鉄の先のように接近する、という政治学上の比喩です。もちろんこれは万能の理論ではなく、学問的には異論もあります。けれども、少なくとも一つのことはよく照らします。理念やスローガンがどれほど正反対でも、自分たちにとって好ましくない思想や集団を「公的に危険なもの」とみなし、管理し、排除しようとする時、極右も極左も驚くほど似てくる、ということです。
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キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(3)聖書神学的考察 原始教会とイエスの言葉を端緒として

サムネイルはカールブロッホ作山上の垂訓題 この世のユートピアではなく、来るべき御国に生きるⅠ.原始教会は「共産主義」だっ...
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キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(2)歴史神学的考察 フォイエルバッハの系譜を糸口として

ある人は、共産主義=神はいない、と考える立場、キリスト教=神を信じる立場と分けて全くの別物だといい、共産主義に反対します。(この立場を反共主義といいます。)また、ある人は共産主義もキリスト教も平和運動をし、格差社会に反対するので、似た者同士だと共産主義を容認してしまっている人も一部にいます。(この立場を容共主義といいます。)はたしてどちらが正しいのでしょうか?共産主義思想誕生に寄与したある神学者、人間学者フォイエルバッハを糸口にして考えていきます。
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キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(1)組織神学的考察 カール・バルトの言説から紐解いて

現代に生きるキリスト者が政治的立場を考えるとき、信仰と政治が全く別の問題であるとは言い切れません。信仰は人の価値観、人生観、倫理観に深く浸透し、政治的判断にも大きく影響を与えるものです。したがって、クリスチャンが特定の政治思想や政党を支持することについて考えることは、決して無意味でも場違いでもありません。では、キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのかという問いはどうでしょうか。この問いは単なる政治的選択を超えて、「世界観と宗教観の衝突」という深い問題を含んでいます。
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信教の自由の観点から旧統一協会の解散命令請求に反対します

世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会、旧統一協会に対する解散命令請求に関して、私は信教の自由の立場から反対します。
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フォイエルバッハにご用心

日本共産党が綱領で自らの定義づける「科学的社会主義」とはすなわち「マルクス・エンゲルス主義」のことであり、マルクス、エンゲルスの共通の思想上の師はフォイエルバッハという神学者に行きつく、そして、このフォイエルバッハというのは青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)に属する哲学者・神学者である。そう、マルクス主義とは大別すればヘーゲル哲学に属するのだ。
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マルワン・バルグーティから目が離せない

マルワン・バルグーティから目が離せないまあ、親パレスチナの方も親イスラエルの方も、小さな教会の牧師の戯言だと思って聞いて...