コリントへの信徒への手紙一 第9章19~27節「あらゆる人が救われる為に(証を交えて)」

おこがましいことを承知の上で、もし自分が神様なら、人々に福音を伝えるためにどのような方法をとるか考えてみたのです。例えば、超常現象を起こして、大空に「聖書の神を信じよ」と飛行機雲のようにして直接、筆を執ったり、あるいは、人間の脳に直接電気信号でテレパシー送って意中の人に悟りを開かせたりすれば手っ取り早いように思うのです。
が、実際のところ神は福音をそのような無機質な情報として伝える方法を採られませんでした。第一コリント書1章21節には「神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになった」とあるように敢えて「人から人にことばを以て伝える」というアナログで有機的な方法を採られました。私たちクリスチャンの教典である聖書でさえ、神の言葉であると同時に人間の言葉でもあるのです。聖書は機械的に伝えられたのではなくて、パウロらしさ、ルカらしさ、ヨハネらしさといった人間臭さ等もあわさって伝えられている有機的なものです。
パウロは今日の聖書の箇所(第一コリント9章19~27節)で、伝える相手に親近感をもって福音を聞いてもらえるように、伝える自分自身がいろんな立場に身を置いたと語ります。
今朝は私が信じるに至った歩みをナラティブに(物語的に)語ります。使徒たちから始まったこの物語は今も続いています。できますならばあなたも、自分の信じたキリストの福音の語り部となってください。

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