ニコデモは、主イエス様のお言葉を聞いてもなお9節で「どうして、そんなことがありえましょうか」と言っています。聖霊の自由な働きによって自分が新しくされ、生まれ変わることを信じることができないのです。
そのニコデモに主イエス様は「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか」と言われました。神の民であるイスラエルにおいて、このことは基本中の基本ではないか。アブラハムを始めとするイスラエルの先祖たちを選び、ご自分の民として下さったのは神の霊のみ業ではないか。エジプトでの奴隷の苦しみの中にあったこの民を、モーセを通して数々の奇跡によって救い出され、約束の地カナンへと導かれたのも、また国を滅ぼされてバビロンに捕囚となっていた民をこの地に連れ帰ったのも、すべて主なる神の霊、聖霊のお働きではなかったのか。人間の思いをはるかに超えて自由にみ業を行なう神の霊、聖霊によって導かれてきたのが神の民イスラエルではないか。神の霊が吹き来るなら、枯れた骨も復活し、新しく生きる者となることを、あのエゼキエルの預言も語っている。
この神の霊、聖霊を信じることが、主なる神さまを信じる信仰の基本であり、そこに、あなたが新しく霊から生まれた者とされる希望があるのだ。そのように主イエス様は言っておられるのです。
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