本日は母の日です。南北戦争時、敵味方関係なく負傷兵の環境改善に人力したアン・ジャービスを偲ぶ会を彼女の娘が彼女が教会学校の教師をしていた教会で1907年5月の第二日曜に始めたのが起源とされます。この時娘のアンナが母アンが好きだった花を出席者全員に配り、その花がカーネーションだったと言われています。さて、そんなわけで今日は出エジプト記のモーセの母にスポットを当てたいと思います。
さて、話を本題に戻します。
出エジプト記の冒頭、エジプトに寄留するユダヤ人の人口が急増するのをみてエジプトの王ファラオはユダヤ人の男児を殺害するように命令します。
そんな中モーセは生まれ、母親は信仰によって自身がつかまったり、罰せられたりするのも畏れず、赤ちゃんモーセを匿いました。聖書の中で母親の愛はその対象は自分の子どもだけに限られますがその愛の深さは神の愛にたとえられることが多く、モーセの母親は愛に満ちていたといえるでしょう。生後3か月がたって、とうとう匿いきれなくなったころ、パピルスの籠に瀝青(アスファルト)と樹脂(ピッチ)で防水加工をしモーセをナイルに流しました。誰かに拾ってもらうことに期待したのです。そういうアイデアが浮かぶという意味でも彼女は知恵に満ちていました。赤ちゃんモーセが入った籠はエジプトの王女によって拾われ、その後モーセの姉であるミリアムが機転を利かし、王女に自身の母をモーセの乳母にするよう進言します。母親は国によって殺されそうになっていた実子モーセを国から手当てをもらいながら育てることになりました。あからさまにモーセをユダヤ人として育てることは出来なかったでしょう。また、乳母ですから、子育ての全期間を見るわけではなくて、途中で別れることになりました。そこには神様に委ねる信仰に満ちていたに違いありません。しかし、モーセには母親を通じて自身がユダヤ人であるというアイデンティティとユダヤ人を導く聖書の神様への信仰が宿っていました。
ちなみに説教題にあるモーセの母親の名前は何でしょうという問いの答えですが、ヨケベドと言います。(出エジプト記6章20節、民数記29章59節)、彼女は愛と知恵と信仰に満ちており、ユダヤ人の指導者モーセ、大祭司アロン、女預言者ミリアムの三人の子の生みの親となりました。
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