使徒言行録4章1~22節 信教の自由、自分らしく生きる

空飛ぶスパゲティモンスター教 説教
空飛ぶスパゲティモンスター教

2月11日は戦前紀元節とされた日で古事記に記載されている初代神武天皇が統治したとされる紀元前660年の太陰暦1月1日を現代のグレゴリウス歴に計算しなおしたものです。戦後GHQによって、このような神道由来の祝日は廃止されました。

その後、明治節→文化の日、新嘗祭→勤労感謝の日、天長節→天皇誕生日(現昭和の日)として復活しました。2月11日を建国記念日として復活させようとした際、「逆コース」との批判が起こり、日本のキリスト教界はこの日を「信教の自由を守る日」として覚えるようになりました。本日の聖書テキストも、国家権力が、自分が信じていることをいいあらわすこと、宣教することの自由を不当に制限しようとしてくることがあることとその対処の仕方が書かれています。 信教の自由というのは人が人間らしく生きるために守られるべき最も大事な権利であると同時に、見えない心の中を自由を守ることなので簡単に侵害されやすく、守るべき範囲も不明瞭になりがちです。※例えば公務員の採用試験に首長とポークカレーを食べながら会食することを設定すると結果的にイスラム教徒を排斥できてしまいます。信教の自由は、戦前の明治憲法にも、隣国の中華人民共和国憲法にもかかれていますが形骸化しやすく、そのために制度的保障として「政教分離」原則が設けられるようになりました。この原則を宗教は国家に関与できないと勘違いしている人もいますが、それは社会主義国のそれであり、自由主義国ではあれば当然に宗教心に基づいて道徳規範があり、その良心にもとづいて投票行動をとるのですから、宗教が国政に関与することはありえます。(例欧州にあるキリスト教民主主義政党など)、政教分離原則とは、「国家の側から特定の宗教を利する行為も害する行為もしてはならない」というもので、この原則は、守られ過ぎと感じるくらい守らないと守ることができない権利なのです。たとえるならば、抗がん剤がなぜ造るのも処方するのも難しいのかといえば、がん細胞を殺す薬は正常な細胞を殺し、正常な細胞に害を加えない薬はがん細胞をも抑制することができず、なかなか、がん細胞を殺し、正常な細胞を生かす薬ができないからです。宗教行政の何が難しいかといえばカルト宗教を行政が制限かけれるようにしようとすれば、まっとうな宗教の活動を侵害することになり、信教の自由が制限されるからです。人類はまなびました邪教を駆逐できずとも正教を制限してしまうことの方が恐ろしいと…どうか自分が自分らしくいきるために、広範な信教の自由が守られるように世の動きに敏感になって下さい。

※サムネイルは例話で用いた空飛ぶスパゲッティーモンスター教の「アダムの創造」、明らかなパロディー宗教であったとしてもその権利を擁護することで、国家による宗教への関与を極力しないように欧米諸国は注意している。

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