ルカ8章26~39節「自己責任論では浮かばれない人たちへ」
イエス、キリストはあなた個人の神に対する不義理(罪)を解決するために、贖うために十字架にかかってくださいました。また、この世のあらゆる不条理を解決する王としてもこの世にこられました。ルカの9章でまた、マタイ、マルコの福音書の並行箇所で同じように、嵐を沈め、悪霊を追い出されたのは天界からこられたこの救世主イエスは自然界も霊界も人間界をも統べる王であることを示すためでありました。
でも、敢えて申しましょう。病気になるのは私のせいなのでしょうか?戦争で無実の人が死ぬのは私の罪のためなのでしょうか?神様がいるならどうして多くの不条理があるのでしょうか?聖書によれば最初の人アダムが罪を犯したために全人類、全世界が呪われたといいます。ゲラサ人はデカポリス地方の地でギリシャ人異邦人の土地でした、そこで悪霊に憑かれた人など、選民であるユダヤ人の救済のためだけに来られたのなら関係のない人でした。悪霊に憑かれた人が癒されても現地の人は喜びません。豚2,000頭が溺死した経済的損失の方を惜しみます。裏を返せば神の律法に背く生活をし続け、その結果誰かが個人的な因果関係のない咎を負っても構わないとうそぶくのです。イエス様はそういった自己責任論で割を食う、人間社会全体の構造的な罪をも最終的には解決するためにもこの世に来てくださったのです。
※サムネイルはブリトン・リヴィエール作 ゲラサ人の豚の奇跡
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