ルカ福音書9章1~20節 イエスって誰? Who is Jesus?
9章前半では、72人の弟子が派遣され、イエス様から力と権能をあたえられ、イエスの名声がますますひろまります。領主ヘロデの所にまで耳に入り、イエスとは誰なのかと当惑することになります。次に4つの福音書に記されているイエス様在世当時で最大規模のしるし、五千人の給食の奇跡がおきて、今度はイエス様がペテロに、「群衆は私のことを誰だといっているか?」と問い、さらにはペテロ自身に「あなたは私を誰というか?」と問うています。これは、福音書記者であるルカが読者である私たちに、しつこく、何度もイエスとは誰かと問うているのです。わからない、答えない、は許されないのでしょうか? 私もメールでのやり取りで、行き違いがあったり、間違えて迷惑メールボックスにはいっていたり、スパムメールに返信しないという「回答」もまたあるでしょう。しかし、これはまるで、内容証明郵便のようです。内容証明郵便は、郵便配達人は宛名人に直接手渡してきます。不在なら不在票を家においていき、郵便局に保管します。一週間たっても返事がなければ再度郵送されます。それでも居留守を使ったり、受け取り拒否をするならば、郵便局が、宛名人が受け取り拒否をしたという証明書つきで、差出人に返します。返事をしない、が通用しない、たとえ受け取らなくても、受け取らないという回答を明示的に差出人にしたことになります。 領主ヘロデはイエス様に興味を持っていたことが記されています。しかし、領主ヘロデは結局ルカ23章でイエスを十字架につける裁判にかける側の人間としてイエスに出会います。というか洗礼者ヨハネの諫言を好意的に聞いていたにもかかわらず、彼を殺したのもヘロデです。耳に心地よいものとして、神からの忠告を聞いた、イエスにも興味をもった、でも神の忠告に従うのも嫌、イエスを主と信じ従うのも嫌、イエスが眼前にキリストだとはっきり示された時、わたしはこの世にも神にもどっちにもいい顔をしようとして最終的に神を拒んだ領主ヘロデと同じ心が私の中にあることに気づきました。自分の内心にはっきりとイエス様をキリストとして受け入れたくないそんな思いがあることに気づいたときに、これは内容証明郵便のように放置していると大変なことになるぞと思い、本腰をいれて「求道」しはじめたのはその時からでした。
※サムネイルはカラヴァジョ作「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
コメント