共産主義

教会と国家

キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(3)聖書神学的考察 原始教会とイエスの言葉を端緒として

題 この世のユートピアではなく、来るべき御国に生きるⅠ.原始教会は「共産主義」だったのか?(使徒言行録2・4章)まず、「...
教会と国家

キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(2)歴史神学的考察 フォイエルバッハの系譜を糸口として

ある人は、共産主義=神はいない、と考える立場、キリスト教=神を信じる立場と分けて全くの別物だといい、共産主義に反対します。(この立場を反共主義といいます。)また、ある人は共産主義もキリスト教も平和運動をし、格差社会に反対するので、似た者同士だと共産主義を容認してしまっている人も一部にいます。(この立場を容共主義といいます。)はたしてどちらが正しいのでしょうか?共産主義思想誕生に寄与したある神学者、人間学者フォイエルバッハを糸口にして考えていきます。
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キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(1)組織神学的考察 カール・バルトの言説から紐解いて

現代に生きるキリスト者が政治的立場を考えるとき、信仰と政治が全く別の問題であるとは言い切れません。信仰は人の価値観、人生観、倫理観に深く浸透し、政治的判断にも大きく影響を与えるものです。したがって、クリスチャンが特定の政治思想や政党を支持することについて考えることは、決して無意味でも場違いでもありません。では、キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのかという問いはどうでしょうか。この問いは単なる政治的選択を超えて、「世界観と宗教観の衝突」という深い問題を含んでいます。
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フォイエルバッハにご用心

日本共産党が綱領で自らの定義づける「科学的社会主義」とはすなわち「マルクス・エンゲルス主義」のことであり、マルクス、エンゲルスの共通の思想上の師はフォイエルバッハという神学者に行きつく、そして、このフォイエルバッハというのは青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)に属する哲学者・神学者である。そう、マルクス主義とは大別すればヘーゲル哲学に属するのだ。