宗教改革の集大成ともいわれる、「ウェストミンスター信仰告白」(バプテストの「第二ロンドン信仰告白」はこれに一部修正を加えたものです)。
そして,それに対応する「ウェストミンスター小教理問答」の最初の問をそのまま説教題にしました。
本日の聖書箇所は、私が神学校で学んだことの中で最も強く衝撃を受けたことに関連します。それまでの私は福音書の最後に書かれている「大宣教命令」つまり「人々の魂の救い」こそ人の生きる使命、目的、至上命題だと考えていたのです。そして、それ以外の聖書の勧めや戒めはその救いを人々に伝えるため、また保つために付随するものと理解していたのです。ところが本日の聖書箇所(一部の教派では大宣教命令に比肩して文化命令と称されます)は、救われる必要のない堕罪以前の人アダムに神様が使命を与えているという点で、趣きを異にします。人が人として生きることそのこと自体に神が目的を見出だしてくださっていた。ここに神の本懐があるのです。人がそれを悟った時、大宣教命令も文化命令も一層輝きを増すのです。
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