イザヤ書第9章5~6節「七百年後の君を、二千年後の君へ」

携帯電話が普及してから、私たちは待ち合わせがいい加減になりました。以前は待ち合わせの場所と時間は予め決めておかないと、行き違いすれ違いがおきました。神は大事な約束を人類に確かに伝えるために預言者をつかわして、預言を託しました。「預言」は神様からの言葉「預かって」人々に伝えることで、人が未来予知をする「予言」とは異なります。(例 ノストラダムスの大予言)。聖書の預言の中で一番多いのは救い主の来臨に関する預言です。それだけ、救い主と人類との空前絶後の「待ち合わせ」を神様が大事に思われていたからです。 預言者イザヤは救い主がダビデの家系から「赤ちゃん」の形で世に遣わされると預言しました。平和の君やワンダフルカウンセラー等、多くの二つ名をもつことも預言しました(イザヤ9:5、6)。また、父なる神と並び称させることも預言しました。日本の文化では少しでも能力の高い人を来やすく「神(カミ)ってる」といいますが、一神教の文化で人を神と称することは極めて異例です。また、処女降誕をも預言しました(イザヤ7:14)。ミカは救い主がベツレヘムで出生されることを預言しました(ミカ5:1)。この「平和の君」が生まれる700年も前からです。  旧約にある他の主なキリストの預言。創世記3章15節、最初のキリストへの預言、原福音とよがれる。第二サムエル7章12~16節ダビデの王権と二重写しにキリストによる王権を指す。詩篇22篇メシア詩篇、十字架上のキリストの最後の7つの言葉。イザヤ書11章1~5節、10節キリストが「エッサイの根株」つまり、エッサイの系列、ダビデの子孫から生まれ、どのような者となるか、ということを預言(エッサイはダビデの父)。イザヤ書53章 キリストの受難を預言。エレミヤ書23章5,6節バビロン捕囚の時代(BC.586~)に、ダビデの子孫からキリスト降誕を預言。ゼカリヤ書9章9節キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城することを預言。それもこれもあなたがナザレのイエスこそ救い主と信じるためだったのです。

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