Ⅰコリント1章18~31節 「福音はダイナマイト!」

説教

私事で恐縮ですが、娘が顔を合わせればDynamite、ダイナマイトと連呼しています。韓国のアイドルグループBTS、防弾少年団にハマッているようです。別段、それがきっかけではないのですが、本日の聖書テキストがニトログリセリンを主剤とした爆薬の方のダイナマイトの語源となった言葉を含むので、本日の説教題は「福音はダイナマイト」としました。
1章18節の神の「力」と訳されているギリシャ語、デュナミスという言葉から、すさまじい力を秘めたその爆薬の名前を、ノーベル賞の生みの親、アルフレッド・ノーベルは「ダイナマイト」と名づけました。
もちろん、コリント書が書かれた時代にはダイナマイトは存在しませんからから、神の力にはダイナマイトのような破壊力、爆発力がある等というような、逆の意味づけを行ってはいけませんが、それでも、神の力のすごさ、すさまじさというのを実感してほしいというの筆者の意図です。裏を返せば、コリント教会で神の力である「十字架の言葉」以外のものが、力ある、権威あるもののようにされて、それが教会の分裂の遠因ともなっていたのです。十字架の言葉による神の力に対比されているものは「言葉の知恵」です。ここから推察されることは、「パウロの説教が旧約の背景が分かる」とか、「アポロの説教が知的である」とか、「ケファの説教が直弟子としての素朴でガリラヤの感じがする」等と言って、自分の好みの説教者のスタイルを絶対視したのではないかと考えられます。福音は語る人の人となり、有機的な人間性とあわせて伝わります。パウロもそれ自体を否定はしていません。むしろ、無機質な情報として伝えることこそ間違いです。しかし、「十字架の言葉」(18節)こそが、肝心要なので、あって、福音の優劣をそれ以外の部分で推し量らないで、自分の中にある教会かくこうあるべし、福音かくこうあるべし、説教こうあるべし、という理想像を押し付けないでほしい。十字架の言葉以外の部分にあなた採点基準、あなたの評価基準を押し付けて、キリストとキリストの教会をバラバラにするようなことはしないでほしい…とパウロは語ります。

 

サムネイルはダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの似顔絵(いらすとや より)

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