チ。原作5話を神学してみた。 こんなキリスト教は嫌だ!

第二章からの主要人物になるオクジー サブカルを神学してみた
第二章からの主要人物になるオクジー

チ。原作第5話を神学してみた。 こんなキリスト教は嫌だ!

原作5話、アニメ4話までのネタバレを含みます。

私がチ。地球の運動について考察ブログをキリスト教側から挙げておかねばならないと思ったのは今回、原作5話についてです。

原作4話まで神童ラファウ少年が活躍し、てっきり彼が主人公で彼を中心に物語が進むものだと、読者、視聴者を誘導してきながら、ラファウ少年は異端審問官につかまり、地動説に関する資料を守らんが為にまさかの自死を選びます。

舞台は一気に10年後にうつり、この物語はひとりの主人公を元に進展するのではなくて、群像劇になることが明らかになり、新章に突入します。

第二章のキーマンになる人物として出てくるのが代闘士オグジーで、彼は敬虔なC教徒、(クリスチャン)なんですが、ここがものすごい酷いのです。迷える子羊オクジーを導く神父のことばをそのまま引用します。

 

オクジー:いつ見ても空の世界は綺麗だ。
なのに我々の世界はどうして汚れているのですが?

神父  :それは、地球が宇宙の中心にあるからだよ。

オクジー:もし、地球が中心なら特別な感じで良い気が

神父  :だめだよ。一般的にそう勘違いされがちだが、最近の研究によって、その考えは否定されている。中心というのはね、一番”底辺”ということだよ。重いものは下に落ちる。地球上のどこであろうと、常に下向かって落ちる。何故なら地球の中心が宇宙の一番そこにあるからだ。神様がそうおつくりになられた。

オクジー:な、何故ですか?

神父  :地球は位が低く、穢れていて、そこにいる人類は無力で罪深いと思い知らせる為だよ。君の見上げる夜空がいつも綺麗なのは、この穢れた大地から見上げているからだよ。

オクジー:地球が宇宙の一番下にあるなら、なんで空の星は落ちてこないんですか?

神父  ;わからない。人は所詮この大地のことしかわからない。天の世界は崇高で、荘厳で、偉大で広大で、下等な地球ごときとは調和しない。

(チ。地球の運動について第2集 p3~5より引用)

これで、主要登場人物オクジーは現世に希望を持てなくなります。

そして、職場の同僚に心情の聞かれた際にオクジーは次のように言っています。

オクジー:「期待なんかしたら裏切られるのがオチ」これが俺の心情です。ハナからあきらめた方が傷が浅くすむ。というか、そもそも人生って全然楽しいこと起きないじゃないですか、この世界で幸福になれるのは、生れた時点でその資格をもっている人たちだけ。そこに選ばれなかった人が幸せを望むことは全く無駄な行為です。俺らがこの世界を必死にいきてても、

努力しろ/努力しても無駄 の

板挟みにされて疲れるだけ。

さらにもっとそもそもいうと、俺らは祖先が犯した罪を生まれながらに背負っている」らしいのでこの世界で喜びより苦しみの方が多いのは当然なんですよね。だから自分の人生を思いのままに生きられないのも当然。この世は終わっている。なので希望は天国にしかない。俺の救いも充実もすべて死後の世界、天国だけにある。今、この世界での生活をよりよくしようだなんて、想いは無意味だ。人生は諦めるべきです。この世ですべきことは一つ祈ることだけだ。そうすれば、こんな価値のない俺のことも天国は救ってくれる。

天国最高 天国最高 天国最高

早くいきたい。早くいきたい。早くいきたい。

(チ。地球の運動について第2集 p22より引用)

 

キリスト教をC教とイニシャルにしただけで、明らかに中世ヨーロッパが舞台のキリスト教だとだれもが分かる文脈で、明確にキリスト教のヘイトが流されています。

私はプロテスタントの牧師で中世カトリックの思想までは全てに精通している訳ではありませんから、上記のような似たような思想が中世カトリックには一部にはあったのかもしれません。しかし、明らかに誤りを多く含んでいます。もし、上のような考え方がキリスト教なんだったら私だって信仰するのを辞めます。

 

上記の内容が公共放送NHKで流れてしまいました。アベマなどの動画配信サービスでも今なお流れ続けています。私は、この部分については注釈入れろとか事実とは違いますとかがあってもいいし、NHKに電凸してもいいと思う。

そして、クリスチャンの皆さん、是非ともこのホームページに上記の神父の考えとオクジーの考えがおかしいと思えるところをコメントに残して下さいませんか?

それがこの作品の影響でキリスト教に興味をもって、のちにこの作品のせいでキリスト教にネガティブな意見をもってしまった人が本当のクリスチャンの生の声に触れてその人が教会の門をたたくかもしれませんから・・・、あなたのコメントが上記のキリスト教に関するゆがんだ考えを矯める伝道の一助になるかもしれません。

コメント

  1. eco より:

    まず神様が天地を創造されたとき、神様は完璧に創造されたので、地球だけが特別に底辺というわけではありません。
    この世界が乱れているのは、神様のせいではなく人間の罪のせいです。

    しかし、確かに罪の影響でこの世界は乱れているのかもしれませんが、ヨハネ3:16に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあるように、父なる神様は世を愛しておられるのです。

    この物語は読んでいないのですが、キリストは描写されていますか?正しい説明をされていますか?

    クリスチャンであっても苦難はありますが、キリストが希望であり、その希望があるからこそ今の地上での人生も生き生きとすごすことができるのです。

    • kanrisha より:

      コメントありがとうございます。マンガの中にはイエス・キリストは出てきません。出すと突っ込まれてまずいと思わったのでしょう。救世主という一般名詞をつかうことでごまかしています。

  2. とおりすがり より:

    「穢れ」って神道の言葉でしょ?それを使っている時点で…

  3. NHKに抗議します。 より:

    原罪って最初の人アダムの罪をいうと思います。
    なのにオクジーはそれを祖先の罪といってしまってます。だとすれば、先祖代々の罪が積算しているみたいで、その積算された先祖の罪を罪を当代のうちに頑張って解決しろと多額の献金をせびるのが統一〇会じゃないですか?
    よりにもよって、それこそ、異端の教義を正統なC教の教義にようにいってしまうなんて、それこそ噴飯者、火刑がふさわしい(笑)

  4. ななしさん より:

    イエス様はヨハネの福音書17章で私たちが天国にさっさと引き上げられるようにではなくて、いろいろあるこの世の中でにあっても守られるようにって父なる神様に祈ってくださいました。だから、この世に生きる意味はあるし、楽しむことも許されているし、来せいだけに希望をおくのは少し違うと思います。

  5. 風間隆志 より:

    チ。の読者と視聴者、そして魚豊先生が、時間と空間をも創造された唯一の神と、その御子である救い主イエス・キリストを知ることができますように。どうか御霊が助けてくださいますように。

    さて、オクジーも神父も霊肉二元論のグノーシス主義者みたいだと私は思いました。グノーシス主義の異端性と比べれば、「地動説と天動説のいずれが正しいか?」問題は霞んで見えます。彼らが言うところの神とは、デミウルゴスなのではないでしょうか?

    以下、長くなってしまったのですが、他にもあれこれ書いてみました。私がおかしなことを書いていないか、牧師目線でチェックお願い致します!

    …まず、この物語の舞台設定、及び様々な登場人物の言動の内に、作者自身の真剣な問いや、世界観や価値観といったものが織り込まれていると思う。しかし、チ。の作者は、別にキリスト教を正しく伝えるためにこの漫画を描いたわけではないだろう。だとすれば、チ。の読者や視聴者の中から、「キリスト教ってこんな感じなのね」と、何となくであっても誤解する人が出てくる。そういう懸念を田口牧師は持たれたのだろう。私もそう思う。

    さて、オクジーは、イエスキリストの十字架の意味も復活の意味もわかっていない・知らない・信じていないかのように見える。彼は、救いが行いによるかのように考えているようだが、聖書はそう教えていない。救いは神の一方的な恵みによるのだ。

    そんなオクジーは、この不条理な世界に対して、自分の個人的な経験・感情・観察から自ずと導き出されてくる切実で必然的な疑問(= 我々の世界はどうして汚れているのか?)を、素直に神父に問うている。

    このような問いに対し、「では聖書(神)は何と言っているか」を解き明かすのが聖職者の存在意義なのに、まずいことに、この神父は“自分の考え(お気持ち)”によって答え、教えてしまった。しかも、確信を持って。

    そして、良くも悪くも素直なオクジーは、モロに、人間に過ぎない神父の個人的な世界観(≠聖書の世界観)の影響を受けてしまったようだ。

    …神父は、自説を補強するために“最近の研究”を持ち出す。この神父によれば、神の言葉である聖書よりも“最近の研究”の方が権威があるのだろう。しかし、“最近の研究”は、もっと未来の研究によって否定される可能性を常にはらんでおり、人間的な限界を持つ暫定的な仮説にすぎないのではないか?また、そのような可能性をはらんでいることこそが、あらゆる研究の健全さを保証さえするのではないだろうか?

    …神父は、悪意の有無はさておき、明確に嘘を教えてしまっている。“地球は位が低く、穢れていて、そこにいる人類は無力で罪深いと思い知らせる為”に、“神様がそうおつくりになられた”のだと。

    聖書にそんなことは書かれていない。むしろ、

    【神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。…” 創世記 1章31節】

    と書かれている通り、アダムの堕罪以前の世界は“非常に良かった”のである。神父の言う“この穢れた大地”は、アダムの堕罪以降のことであって、断じて、初めから神が地球を、“位が低く、穢れて”いるものとして創造したのではない。

    しかも、神が人類に対し、“無力で罪深いと思い知らせる為”に、確信犯的な悪意を持って地球を創造したかのように言うのは、アダムにあって罪を犯した自分の責任を巧妙に神に転嫁しているにすぎない。

    【”こういうわけで、ちょうど一人の人(※アダムのこと)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった…”
    ローマ人への手紙 5章12節】

    この神父の姿勢に見られるのは、自由意志によって神に背いた自分の罪を認めないため・隠すためなら何でもするし、神を悪者にすることさえ朝飯前という、実に救いがたく罪深い人間の性質(自己中心性・傲慢)である。

    また、神父の言葉の裏にある本心は、「私はこの“穢れた大地”に強制的に置かれているのだから、私がどんなに穢れた罪を犯すとしても仕方ないよね?(てか、今更罪を犯してもあんま変わんなくね?大地穢れてるし。”」 という“開き直り”ではないだろうか。

    …神父は、オクジーの、“地球が宇宙の一番下にあるなら、なんで空の星は落ちてこないんですか?”という子供のように素朴な問いに対して、

    “わからない。人は所詮この大地のことしかわからない。天の世界は崇高で、荘厳で、偉大で広大で、下等な地球ごときとは調和しない。”

    と答えている。

    “下等な地球ごとき”

    と神父は言い放った。全知全能かつ、完全に愛であり完全に正しい聖なる神の御業に対する、この認識。神は無能だと言っているに等しい。その口で“天の世界”を褒めちぎっても神はむしろ不快だろう。

    …神父の言葉の数々は一見、謙虚なように見えるかもしれない。あたかも自分の罪を認め嘆き、神を畏れているかのように聞こえるかもしれない。しかし実は全く逆である。彼は、自分が立っている“大地のことさえ”わかっていないのであり、わかっていないということを、わかっていない。彼は、神をほめたたえているように見えて、その実は、神を思いっっっきり冒涜しているのだ。この冒涜は、おそらく神父の心の深いところ、言わば無意識レベルから沸いてくるようなものであり、癒しがたい病のようなものだ。そして、このような病を癒やし得る者はデミウルゴスではなく、まことの神ただおひとりである。

    …わからないことを、わからないままに心に留めておくこと。性急に答えを出してしまわないこと。それは、難しいことだがとても大切なことだと思わされる。

    最後に。行いによる救いの達成は、100%不可能だということを、あわれなオクジーに伝えたい、と思った。

    [以上です。拙文、ここまでお読みくださった方、まことにありがとうございました。キリスト教に興味のある方、聖書に何が書かれているかを理解したい方は、ぜひ教会に行ってみてください。おかしな神父や牧師もいると思いますが笑、祈り求めればきっと導かれます。また、あくまでも補助的にですが、Youtubeも役に立ちます(Xで聞いて頂ければおすすめのチャンネルも紹介できます x.com/literacy_dango)。]

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