教会に躓いたあなたへ(1)セカンドオピニオン

教会に躓いたあなたへ
教会の公式見解ではなくて、あくまで、牧師の個人的見解としてですが、「教会に躓いたあなたへ」を連載化することにしました。

「教会に躓いたあなたへ」 連載化の経緯

この教会のホームページの閲覧数はしれているのですが、それでも先日、普段の十倍以上の閲覧数を稼いだ記事がありました。それは、説教題を「教会に躓いたあなたへ」としたものです。記事の中味自体は当たり障りのない記事だったのですが、おそらくタイトルが人を惹きつけたのでしょう。クリスチャン人口が少ない日本でも、それだけ教会に躓いた人が多いという証左でしょう。この日本で毎週日曜日に教会で礼拝を守っている人をはるかに上回る何倍もの人が教会に躓(つまず)いて、教会にいくことをあきらめ、信仰者としては死んだ状態の人がいるのです。

にもかかわらず、教会の案内、パンフレット、ホームページは、教会に来たことがない、初めての方向けのものがほとんど(うちの教会も例にもれない)です。教会の外に傷つきつまづいた人は、教会に助けを求めればよいでしょう。しかし、教会そのものに傷つき、つまづいた人は一体どことに助けを求めればよいのでしょうか? やはり、教会の問題は教会にもっていくより仕方がないのです。

教会に躓いて礼拝すら守れていない人々に、「教会版セカンドオピニオン」を提示できればと願っています。

それは決して、私の牧会の仕方が完璧だと申し上げたいわけではありません。これまでも少なくない失敗をしてきました。また、この我孫子バプテスト教会もまた、脛に傷を抱えた(聖書のいう)罪びとの集まりですから私たちの教会こそ完璧だなどと嘯(うそぶ)くつもりもありません。ましてや他教会で既に礼拝を守っている方を引っ張る意図はありません。

誤解のないようにセカンドオピニオンの意味を確認しておきましょう。

セカンドオピニオンとは、患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。セカンドオピニオンは、担当医を替えたり、転院したり、治療を受けたりすることだと思っている方もいらっしゃいますが、そうではありません。まず、ほかの医師に意見を聞くことがセカンドオピニオンです。(東京都福祉保健局HPより)

かつて、教会に通い、にもかかわらず、キリストは愛しているが、教会に躓いた、というひとがその後何年も信仰生活を守らず、集まって礼拝することを諦めてしまっているのなら、その状態を神様は決して喜ばれていない思うのです。

結果として、従前の教会の礼拝に行かないようになって何年もたっていたり、物理的その他の理由で従前の教会に通えないというのであれば、その時はお声かけ下さい。私たちの教会は会衆制の教会です。牧師のワンマンで物事を決める教会ではありません。牧師も一票、教会役員も一票、そして、転入会して間もない者でも同じ一票として、等しくあなたの意見を扱います。私たちの教会があなたの教会にもなりえるかもしれませんから…

最後にこのミニストリーの着想をえたエゼキエル書34章15~22節をご紹介します。
どうか、教会に躓いたクリスチャンの兄弟姉妹よ、主イエス・キリストが愛された教会を諦めないでください。

 15わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。 16わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。
17お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。 18お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。 19わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。
20それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。 21お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。 22しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。(エゼキエル34章15~22節)
※サムネイルはゴヤ作「サン・イシードロの巡礼」ゴヤの黒い絵シリーズのうちの一点です。きっと教会に躓いた人たちは、日曜日教会に通うこと自体暗く、足取りが重くなるようなことでしょうから…

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