ルカ20章9~19節 キリストがあなたの人生の関係者だという話
Ⅰ. 導入
ある人がこんな言葉を残しています。「人生の最大の悲劇は、キリストを無関係の存在として扱うことだ」。私たちは日常の忙しさの中で、神や信仰が自分の生活に関係あるのかと疑問に思う時があります。仕事、家族、人間関係、将来の不安――そうした現実の課題の前に、「信仰は現実に何の役に立つのだろうか」と考えることがあるかもしれません。
しかし聖書は一貫してこう告げます。神はあなたの人生に深く関わっておられる。キリストはあなたの歩みと切り離せない存在である。 ルカ20章に記される「ぶどう園と農夫のたとえ」は、そのことをはっきりと私たちに示しているのです。
Ⅱ. たとえの内容と意味
イエスは神殿で群衆と指導者たちにこのたとえを語られました。
ある人がぶどう園を作り、農夫たちに貸して旅に出ます。収穫の時、主人はしもべを送り収穫の分け前を受け取ろうとしますが、農夫たちはしもべを侮辱し、追い返します。二人目も三人目もしもべを送りますが、ことごとく打ち叩き、辱めました。
ついに主人は「わたしの愛するひとり子を送ろう。この子なら敬ってくれるだろう」と考えます。ところが農夫たちは、「これは跡取りだ。殺してしまえば、このぶどう園は我々のものになる」と相談し、彼を殺してしまうのです。
イエスは言われました。「では、ぶどう園の主人はどうするだろうか。彼らを滅ぼして、ぶどう園をほかの人に与えるだろう。」
このたとえの意味は明らかです。ぶどう園の主人は神。農夫はイスラエルの指導者たち。しもべは歴代の預言者。そして最後に送られた「ひとり子」はイエス・キリストご自身です。人々は預言者を退け、ついには神の御子をも拒み、殺そうとしています。しかしそれでも神は人間に向かって繰り返し語りかけておられる。
Ⅲ. 私たちの人生へのメッセージ
1. 人生の主人は神である
このたとえの最初の大切なポイントは、ぶどう園の主人は神であるということです。農夫たちは勘違いしました。園は自分たちのものだと思い込み、主人の権利を否定しました。しかし真実は違います。ぶどう園は主人のもの。農夫はあくまで管理を委ねられた存在にすぎません。
私たちの人生も同じです。命、時間、能力、家族、財産――すべて神から託されたものです。しかし私たちは「自分の人生は自分のものだ」と思いがちです。キャリアもお金も健康も「自分の努力で勝ち取った」と思う時、ぶどう園の農夫と同じ過ちを犯してしまいます。
聖書は告げます。「あなたがたは自分のものではない。高い代価で買い取られたのです」(Ⅰコリント6:19–20)。私たちは神のもの、そしてキリストのものなのです。
2. 神は繰り返し語りかけておられる
二つ目のポイントは、神の忍耐と繰り返しの呼びかけです。主人は一度だけでなく、何度もしもべを送りました。拒絶されても、侮辱されても、それでも忍耐をもって人を遣わし続けました。
これは神が人類に、そして私たち一人ひとりに語りかけておられる姿です。旧約時代、神は預言者を通して繰り返し御心を告げました。新約時代、御言葉を通して、兄弟姉妹を通して、また人生の出来事を通して、神は「わたしに立ち返りなさい」と呼びかけておられます。
思い返すなら、私たちの人生にも神の呼びかけが何度もあったはずです。病気や試練の中で、あるいは礼拝や聖書の言葉を通して、私たちは心の奥で「神が自分に語っている」と感じた経験があるのではないでしょうか。
3. キリストはあなたに直接関わっている
三つ目のポイントは、神が最後に御子イエスを送られたという事実です。神は「この子なら敬ってくれるだろう」と、愛するひとり子を差し出されました。これは父なる神の究極の愛の表れです。
ここで注目すべきは、御子が「遠くから教えを送った」のではなく、人間の世界に降り、私たちと同じ苦しみを担い、十字架で命を捧げられたということです。つまりイエス・キリストは「歴史上の人物」として存在しただけではなく、「私の罪のため」「私の救いのため」に来られたのです。
キリストはあなたの人生に直接関わっておられます。病気のとき、孤独のとき、失望のとき、イエスは遠くから見守るのではなく、共に歩み、支え、救おうとされます。
Ⅳ. 適用:キリストを拒むか、受け入れるか
このたとえ話は、最終的に二つの道を提示します。御子を拒むか、受け入れるかです。農夫たちは御子を拒み、殺しました。その結果、園を失いました。
同じように、私たちがキリストを拒み続けるなら、人生の本当の意味と祝福を失うことになります。逆に、キリストを信じ、人生の主人として受け入れるなら、私たちの人生は神の栄光のために豊かな実を結ぶものとなります。
キリストを受け入れるとき、私たちの人生は単なる自己満足や利得の追求から解放され、神に喜ばれる「実りある人生」へと変えられていくのです。
Ⅴ. 結論
ルカ20章のたとえは厳しい警告ですが、同時に大きな慰めでもあります。なぜなら、神は最後まであきらめず、御子を与えるほどに私たちを愛しておられるからです。
今日、キリストはあなたに語っています。
「わたしはあなたの人生に関係している。あなたの喜びも悲しみも、すべて知っている。あなたがわたしを受け入れるなら、あなたの人生は意味と実りに満ちる。」
私たちは自分の人生の主人ではありません。真の主人は神であり、キリストです。どうか今日、改めてイエスを心に迎え入れ、「私の人生は主のものです」と告白しようではありませんか。そのとき、キリストはあなたの歩みを導き、どんな時にも共にいてくださるのです。
※サムネイルはジェームス・ティソ作「邪悪な農夫の譬え」
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