ルカ22章54~62節 ヨハネ21章15~19節 ギリシャ語に愛という言葉が3つある

説教

サムネイルはヘラルト・セーヘルス作「ペテロの否認」

ルカ22章54~62節 ヨハネ21章15~19節 ギリシャ語に愛という言葉が3つある

本日の箇所(ルカ22:54–62)は、ペテロがイエスを三度否認してしまう痛ましい場面です。ペテロは数時間前、「主よ、御一緒になら牢に入っても死んでもよい」と豪語しました(22:33)。その言葉は嘘ではなく、本気の自負だったでしょう。しかし現実の恐れの前で、彼は「私はあの人を知らない」と否定してしまいます。私たちにも、教会の中では信仰を語れるのに、外では小さくなり、福音を恥じてしまう弱さがないでしょうか。

ルカだけが記す不思議な一節があります。「主は振り向いてペトロを見つめられた」(22:61)。このまなざしは、怒りや見捨てではなく、責めないのに逃がさない“愛のまなざし”だったのではないでしょうか。ペテロは主の言葉を思い出し、外に出て激しく泣きました。自分の失敗が見えたからです。

しかし、失敗は終わりではありません。復活の主はヨハネ21章で、ペテロに三度「わたしを愛しているか」と問い、三度「羊を飼いなさい」と委ね、否認の傷を“上書き”して回復してくださいます。ここで「愛する」という言葉の差をどう読むかには議論もありますが、中心は揺れません。主は、完璧な者だけを用いるのではなく、倒れた者を立ち直らせ、使命を託されるのです。

神は私たちをアガペーの愛で先に愛し、御子を遣わし、十字架によって救いを成し遂げ、さらに御霊によって私たちを造り変えてくださいます。だから私たちは、立派な愛を言い切れなくても、今ある精一杯の応答から始めてよいのです。主の問いかけは裁きではなく回復への招きです。「わたしに従いなさい」。今週も、主に見つめられ、赦され、委ねられた者として、主の羊に仕えつつ歩みましょう。

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