説教

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ルカの福音書6章43~49節 人生の計画を立てる上での土台の土台 砂上の楼閣

ルカの福音書6章43~49節 人生の計画を立てる上での土台の土台 砂上の楼閣マタイの福音書5~7章に収録されている山上の...
教会に躓いたあなたへ

ルカの福音書6章37~42節 教会に傷ついたあなたへ(あるいは人の裁き方)

イエス様は人を裁くなと説教の中でおっしゃいます。かといって、教会の中で裁かれるべき人が裁かれずにそれが為に傷ついて教会をさる人がいます。一方で教会で裁かれるべきでないことで裁かれて教会を去る人がいます。その線引きはどこにあるのでしょう。
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使徒7章1~8節 ステファノ斯く語りき

今日の説教は使徒言行録7章を丸々割いた完全原稿で、冒頭の「兄弟たちよ」という呼びかけから、最後の60節で石を投げられる断末魔まで、説教の息遣いが聞こえるのです。
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ルカの福音書6章20~26節 改題「イエス様は説教中ピエンを連呼する!」 原題「さいわいか?わざわいか?」 ~平地の説教~

この日本語で「不幸である」は、原文では各文章の冒頭にきており、「ウエー」と発音し、意味は「ウエー」です。意味のない、間投詞、感嘆詞です。「ウエーン」「エーンエーン」あるいは今風に「ピエン」と訳してもいいのかもしれません。
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マイナーな聖書の預言書を開こう ナホム書

ナホム書は一見すると相反するような神様の性質である愛と義はむしろ神様の本質であることを訴えています。北イスラエルの不信仰から同国の滅びますが、同国を滅ぼしたアッシリアもその偶像礼拝から滅ぼされます。また、それは属国として蹂躙されてきたユダ王国への慰めでもありました。神様の視点から見ると慰めと裁きが同時におきることもあるのです。 もとい、イエス様の十字架もどんな大罪人をも赦したいという愛とどんな小さな罪も赦せないという義から出た極めて神様の本質にもとづくものであることをナホム書は教えてくれます。また、ただ神を神として認めるだけではなくて、神のもとに身を寄せる、イエス様に信頼してイエス様に身を寄せることの大切さを教えられます。
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ルカの福音書6章1~11節「イエス様でも怒られるほどの禁忌とは」

イエス様はいじめに激怒したのであります。いじめる側のその心根を見たときにイエス様は怒られたのです。敢えて事を荒立てたのです。騒ぎを起したのです。いじめられっ子が虐められたまま、丸く収まるくらいなら、敢えて地雷を踏んでことを荒立てて、いじめには与しないと宣言してくださったイエス様。でもいじめに加担してしまう弱い人たちのためにも十字架にかかかって下さったイエス様。私たちのヒーローです。
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ルカの福音書5章33~39節 新しいぶどう酒は新しい革袋に

ルカの福音書5章33~39節 新しいぶどう酒は新しい革袋に A ファリサイ派         断食する   悔い改めない...
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使徒2章1~21節「あなたの心の中にも神様が住んでくれます」

聖霊降臨節(ペンテコステ)は、クリスマス(降誕節)やイースター(復活節)とならぶキリスト教の三大祝祭です。が、他の二つに比べると認知度が低く、そもそも聖霊とは何かをあまり理解していない人もいらっしゃるでしょうから、聖書の記述からいえる聖霊についてその「最大公約数」的なことをまとめてみましょう。
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ルカの福音書5章1~11 「釈迦に説法、イエスに漁法」

ルカの福音書5章1~11 「釈迦に説法、イエスに漁法」
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ヨエル書3章1~5節 マイナーな聖書の預言書を開こう ヨエル書

小預言書をみるときに、北王国か南王国か、またいつの時代を指し示しているかをみるようにとお話ししてきました。しかし、このヨエル書は扱っているテーマが大きいため、諸説あります。そして、その預言は重層的です。また、神様が歴史に介入され強く働かれる日「主の日」についてもっとも強調して書いている書でもあります。ヨエルは執筆当時の喫緊の災いである蝗害について書きます。それは過去出エジプト記の中でエジプトを襲った10の災いの8番目を想起させるいつか来た道であることを伝えつつ、この警告への応答として神の前への真摯な悔い改めをうながします。この蝗害は未来におこる蝗のような軍隊の侵攻による滅びへの警告でもあり、それこそまさに主の日であり、その主の日に対して真実な悔い改めをするなら、イスラエルではなくて、異邦人を含めた全人類に神の霊が降りてきて救いをもたらすという大きな青写真を提示します