マタイによる福音書 第11章20~30節「教会で最も用いられる招きの言葉の真意」

統計を取ったわけではありませんが、本日の聖句、「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」は教会の看板に最も掲げられているであろう招きの言葉です。例に漏れず、私たちの教会のホームページにも記されています。
しかしながら、この聖句の前段落でイエス様は、奇跡を用いて宣教したにも関わらず悔い改めなかった町々を叱責しています。聖書の中でも最も罪深い町の代表格で最後は神罰によって滅ぼされたソドムと比較し、そのソドムの方がマシだ、地獄へ落ちろと言わんばかりの勢いで叱責されるのです。そして、その直後に先述の招きの言葉が一転して発せられるのです。
これはいったいどういうことでしょうか?実はこの時ソドム以下と言われた町の一つがカファルナウムの町であり、その町の中でさらに罪人の代表格とされていた職業が収税人でありました。その収税人の一人がイエスキリストの十二弟子のひとりにしてこの福音書の著者マタイだったのです。招きの言葉にある「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」の真意を噛みしめていたのは著者であるマタイだったことでしょう。
主イエスの救いはそんな罪深いところにいる人をも引き上げてくださるのです。

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