マルコによる福音書 第13章28~31節「滅びないもの」

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。ここには、天地が滅びること、つまりこの世が終わり、人間の営みが全てなくなってしまうことが語られています。しかしそれと同時に、その終わり、喪失、崩壊においても決して滅びることのないものがあることが見つめられているのです。
その「滅びないもの」とは「わたしの言葉」です。主イエス・キリストの言葉、神様のみ言葉です。天地が滅びても、神の言葉だけは決して滅びない、その滅びないものを見つめる時に、そこには展望が与えられ、刹那的にならない生き方が与えられていく、主イエス様はそのことを私たちに語っておられるのです。イザヤ書第40章6節以下にもそのことが語られています。1124P 主の風が吹きつけると、草は枯れ、花はしぼむ、しかし私たちの神の言葉はとこしえに立つ。その草や花とは、「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの」とありますから、この世を生きている私たちのことです。私たちは、主の風、熱風によって、草や花のように枯れ、しぼんでいくのです。
そのことが私たち一人一人の人生において起こるのが死であり、この世界全体に最終的に起こるのがこの世の終わりなのです。
しかしその終わりの時の崩壊、滅亡を越えて、神の言葉はとこしえに立ち、決して滅びない。 ルターは、その決して滅びることのない神の言葉を見つめていました。
それゆえ「明日この世が終わるとしても、私は今日リンゴの木の苗を植える」と言うことができたのです。

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