ルカの福音書1章26~38節「平和を告げ知らせる天使」
天使ガブリエルは旧約聖書ダニエル書9章にも出てきます。神意を伝令するのがガブリエルの役目でエリサベツに洗礼者ヨハネの誕生を予告するのもこのみ使いでした。 「おめでとう」と訳されたハイレは現代ギリシャ語でもよく使われる挨拶で、カトリックでよく歌われるラテン語の讃美歌、アヴェマリアの「アヴェ」の指すことばです。
天使は「主はあなたと共におられる」「恐れることはない」と心が平安であるように声をかけているようにみえますが、当時の習俗から考えれば、未婚のままでの妊娠は、よくて婚約破棄、破談でシングルマザーです。さいあく、石打にされて殺される可能性がありました。とても、平和、平安でいることなどできないと状況に追いこまれることを告げられたのに、彼女は天使の言葉を平安にうけいれることができたのは何故でしょう?
彼女の信仰に迫ってみたいと思います。ひとつは、叔母エリザベトの高齢出産という小さな奇跡によって、自身の聖霊による懐胎を神の技としてうけいれることができたようです。
次に、彼女が信仰をもってそのように受け入れることができた理由と推測できるのはルカ1章46~56節までのマリアの賛歌と呼ばれる歌です。これ、彼女のオリジナル曲ではないのです。今風に言えばカヴァー、昔の言い方で言えば「本歌とり」をしたことがわかります。元の歌はサムエル記上2章1~11節にあるサムエルの母「ハンナの祈り」です。彼女マリアの1000年以上前に生きた人ですが、マリアの叔母エリサベトと同様不妊に悩んだ人でした。マリアは当時ティーンエージャーだったと考えられますが、聖書のハンナの祈りをそらんじて唱和できるほど聖書に精通していました。
第三に、もしそれほどまでに聖書に精通しハンナのことにすら詳しいのであれば当然にユダヤ民族の祖アブラハムの妻サラも不妊に悩みながらも神様の介入によって高齢出産をしたこともしっていたでしょうし、また、人類の祖アダムは女性の胎を経ずに神によって土から作られたことも知っていたでしょうから、そのようなことを通じて処女懐胎もまた信じることができたといえます。
処女懐胎は信じがたい教理ですが、もし信じるなら
(1)歴史を通しての預言の成就、
(2)自力救済の断念、神の側の人間の側への救済のための(強制的な)介入、
(3)人知を超えた神の技を信じることによって救済を得られるという構造、
(4)神様の主権による業であるにもかかわらず人間に関与させる
ということを信じることができ、より救いに対する信仰を堅く、平安のあるものとして頂ける「十分条件」として作用するのです。マリアは聖書に精通することによって、神様が人類を救済されるときに上記(1)~(4)のような「粋なこと」をして人類を導くということを体得していたのだろうと思います。
そして、それは自力救済が不可能で神様から遠く離れた私たちが救われるように、お節介にも、押し付けるようにしてでも私たちを「恵みの契約」に預からせ救おうとする神様の熱情にであうことができたのでしょう。
サムネイルはフラ・アンジェリコ作「受胎告知」
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