ヨハネの福音書8章31~38節「真理はあなたを自由にする」

説教

ヨハネの福音書8章31~38節「真理はあなたを自由にする」

「真理はあなたがた(われら)を自由にする」は、国立国会図書館のレファレンスにも掲げられている有名な言葉です。聖書の文脈においての直接的な意味はイエスの新弟子たちが「自分たちがアブラハムの子孫で罪はなく、また誰の奴隷になっていないので自由である」という認識だったのに対し、ユダヤ人も含めて、人は原罪の影響下にあり、罪の奴隷であり、自由意志はなく、主イエスを信じることによって神の介入によってその奴隷状態から解放されると意味と取るのが妥当でしょう。英語で自由意志というのはフリーウィルですが、神学ではフリーエージェンシー(自由に行動する力)と表現し、より高次なものを自由意志フリーウィルといいます。そのうえで人間には「自由意志がない」とパウロもアウグスティヌスもルターもカルヴァンもいいます。 例えば、今あなたが嘘をつくか正直に話すかは、誰の指図も受けない自由に行動する力によって選択できます。そして、あなたは神の前に、神を悲しませるような嘘は一生涯つきたくないと思っています。であれば、あなたはこれからの生涯、一つも嘘をつかないで生きていけるでしょうか?できないですよね?でもあなたは自分の意思で嘘をつくかどうかを選んでいて、自分では嘘をつきたくないと思っている…にもかかわらず、そのように自分の残りの人生を自分で制御できない…この状態のことを神学上、「自由意志はない」といいます。

真理は私たちを自由にする。知性によって合理的に判断し、迷信から解き放され自由になるのもまた真理でしょう。福沢諭吉翁の神の存在実験等がそれにあたるだろう。イエスの言葉に留まり続けるというのは言い換えればイエス様を愛することなのですが、私たちの認識は歪んでいるので、意外なところから教会は真理から外れてしまいます。例えば不信仰者ではなくて、信仰的な指導者から真理から離れる教説は入り込んだりします。(不信仰者にはそもそも教会は影響されない。そこには必要以上に情が絡んで、知や意を歪ませるのでしょう。また、熱心に神の聖に拘ったが故にかえって真理から離れたドナティス派の事例もあります。ほどほどにせよという意味でなく、知・情・意全ての領域においてイエスを愛し、イエスの言葉に留まりたい。

サムネイルはボッティチェリ作「書斎の聖アウグスティヌス」(部分)

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