オバデヤ書は21節しかなく、聖書の中でもっとも短い書物です。また、あまりにも短い上にユダヤ人ではなくて、エドム人の滅亡について多く紙面を割いているために、ますます執筆者、年代、場所の特定も困難を極めます。エレミヤ書49章7~22節に、バビロンによるエルサレム侵略に乗じて隣国であるエドムも簒奪にきたことを非難する箇所があり、これを並行箇所と見るならBC586年の侵略以前と考えられます。エドム人の祖はエサウでイスラエル人の祖ヤコブの兄にあたります。招詞で申命記の一節
エドム人をいとってはならない。彼らはあなたの兄弟である。エジプト人をいとってはならない。あなたはその国に寄留していたからである。 申命記 23章8節
を読んだ通り兄弟民族です。また新約聖書ヘブライ書で
だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。 ヘブライ書12章16、17節
とあるとおり、また創世記25章にもあるとおり、ヤコブの作ったレンズ豆の煮物で長男の権利を売ってしまった浅はかな人物です。この時の豆が赤色(ヘブル語でアドム)だったので「エドム人」とよばれるようになりました。エドムの町はテマンやボツラが有名でボツラは今の世界遺産ペトラ(ヨルダン南部)にあたります。
今日の箇所のとおり、砂漠の崖の高いところに住んでおり、サムネイルのとおり鉄分を多く赤い土地でもありました。エドム人はイスラエル人にそのことを逆恨みしており、エジプトから約束の地に帰還する時もエドム人は通せんぼをし、そのためにイスラエルは迂回を余儀なくされました(民数記20章)。イスラエルはエドムに対して謙抑的にふるまいましたが、エゼキエル35章、アモス書1章6~9、詩編137編7節とエドム人はイスラエル人に暴力を振るいました。そこで、エドム人はその山から引きずり降ろされ民族ごと亡くなってしまうとオバデヤは預言します。マカバイ記に一旦強制改宗、併合されます。クリスマス物語の後救い主を亡き者にしようとしたベツレヘムの嬰児虐殺事件をおこしたヘロデ大王もイドマヤ人(エドム人)です。ただ、彼の後、エドム人は歴史の中でうずもれ民族としては無くなってくなってしまいます。
さて、エドム人の滅びを語っていた本書は15節で突然すべての国の滅びを預言します。これにはヘブル語の特性があって、実はエドムとアダムは母音記号が違うだけで、発音こそ違うものの綴りは同じなのです。そして最初の人アダムは広義には「全人類」を指します。そう、復讐に燃え、最終的には自らを滅ぼしてしまったエドムの姿は、人を赦すことができず、怒りの感情と孤独に苦しむ全人類の姿であり、私の姿なのです。オバデヤは最後イスラエルの回復を預言しますが、シオンの山(21節)(神殿の丘)でなされた十字架の出来事を見上げない限り本当の解決はありません。
※サムネイルは筆者がかつてのエドム人の土地にできた王国ナバテヤ王国、ペトラの遺跡に行ったときに撮った写真
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