ハバクク書 神様がいるなら何故この世に悪が栄えるのか?
ハバクク書はその文面から、北イスラエル王国がアッシリア帝国によって滅ぼされて以降で且つ、南ユダ王国がバビロニア帝国に捕囚される以前に存在した預言者であることが分かります。
そして、預言者でありながら大衆に目立ったパフォーマンスをするよりも、神との対話で自らの経験を記すこの文書預言者は時代は違えど、私たちと同じ悩みを抱えた一人の信仰者としてもっと注目されても良いでしょう。
ハバククが生きた時代、南王国のヨシヤ王より後は、神の御心に逆らう悪い王様の治世が続きます。そのため、目の前の現実は悪が栄え正義が蔑ろにされる現実が続きます。今回の説教題は奇を衒ったものではなく、まさにハバクク書の中心テーマなのです。ハバククの神様への祈りは長くきかれなかったのでしょう。1章2節いつまであなたはきいてくださらないのか?と神様への不平不満が正直に吐露されています。神は1章6節でカルデヤ人(新バビロニア帝国の勃興)を預言し、それによって南ユダの不法、暴虐は正されると託宣します。ハバククという預言者は正直です。12節~ハバククは新たな疑問を神様にぶつけます。神様が聖いこと、ユダ王国が裁かれないといけないことも理解できます。しかし、バビロンはユダより悪い存在なのに「巨悪をもって小悪を制する」ってどういうことですかと神様にいうのです。それに対して神様は再度答えてくださいます。歴史を紡がれる神様は世界帝国たるバビロンも悪を制する上では道具に過ぎず、バビロンの悪もまた必ず神様が捨て置かれるものではない。ユダは残るがハビロンは滅びると約束されるのです。ハバククは、今目の前におきる不法・暴虐をリアルと捉え、一喜一憂するのではなく、神様の言葉こそリアルなものだと捉え、神様の言葉を信じていきることを選び神を賛美します。その姿に感銘を受けたパウロがローマ書1章17節やガラテヤ書3章11節で引用したのが、ハバクク書2章4節であり、そのパウロの言葉を再発見したのがマルチン・ルターなのです。預言者ハバククはプロテスタントの中心教理「信仰義認の言い出しっぺ」とも言えるのです。
※サムネイルはジェームス・ティソ作「虜囚の逃亡」です。
コメント