ルカ福音書8章40~48節 いい加減な信仰なのに認めてくださった

長血を患った女を癒すキリスト 説教
長血を患った女を癒すキリスト

ルカ福音書8章40~48節 いい加減な信仰なのに認めてくださった

今日のテキストは、「長血を患った女性」です。レビ記15章では精の漏出、生理の経血、不正出血等が汚れたものとされていました。非科学的といわれるかもしれませんが、病気の大部分は最近やウイルスに由来するとわかったのは近代以降のことであり、感染すると抗生物質もワクチンもない古代社会においては、病気の対策の基本は隔離であり、もっとも感染力の低い病原体でも血液・体液を介して感染するわけですから、ある意味合理的といえます。

また、現代人の感覚的な清浄概念と、衛生概念が一致しているかといえば必ずしもそうではありません。(たとえば、一度体外に出された唾液を再び飲み込むことは不浄とされますし、逆に雑菌が多くいる受話器に口をつけることに抵抗感のない人は多くでしょう)。12年間も不正出血で悩まされていた女性は、身体的苦痛があっただけでなく、経済的苦痛、精神的苦痛、霊的苦痛、孤独などに悩まされていたであろうことは想像に難くありません。苦痛から逃れたい一心で本来、主の戒めの備忘とされていた祭司の服の房(民数記15章37~41節)を御利益の端緒と見て触れたこと、また宗教的に汚れているにもかかわらず、そのことを周囲に告知せず、雑踏の中に足を踏み入れること(レビ13章)は、正統的な当時のユダヤ教の律法、教理からみても逸脱しているといわざる得ないことでした。

彼女の信仰理解は呪術的、御利益宗教的、機械的なものでした。このままでは彼女は真に救われないとみた主イエスは、自分から力が抜けていった原因となった彼女に正直に告白すること、人格的な交流を望まれました。その中で彼女は主に対して信仰は正統的、人格的、霊的、有機的なものに「観念」させられ、全てを正直に洗いざらいはなすことになりました。もし、この告白がなければ、病が癒されても彼女は罪悪感にさいなまれ、コソコソと生きていかければならず、神様に後ろ暗いところを抱えたままになっていたことでしょう。彼女はいつから「正しい」信仰を持っていたのでしょう。正しい信仰を持つ前から愛され、信仰も神が正していただけたのです。

サムネイルは パオロヴェロネーゼ作長血を患った女性を癒すイエス

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