チ。原作3話を神学してみた。アリストテレス主義者

嘘をつくラファウ少年 サブカルを神学してみた
嘘をつくラファウ少年

※サムネイルは義父ポルツキに嘘をついてでも大学進学を達成しようとするラファウ少年
アニメ二話より Ⓒ魚豊/小学館/チ。―地球の運動について―製作委員会

チ。原作3話を神学してみた。アリストテレス主義者

人の認識はそうそうに容易にかわらない。

アニメ、第二話の最後、原作マンガでは三話に当たる部分、神童ラファウが義父ポトスキに嘘をつくシーンです。大学の進路を神学から天文学へ直ちに転向するのをあきらめ、神学部に入学してから複数年かけて天文学部へ編入学し、30年~40年かけて地動説を証明するという人生をかけた長期計画をラファウは立案します。その際、アニメではカットされていますが、ラファウは天文学部に編入するために10年くらいかけて「アリストテレス主義者」を説得するという計画を立てていました。

アリストテレス主義者とはキリスト教絶対の古代、中世において、それと同じがそれ以上にギリシャ哲学をアリストテレスの考え方を重んじた人たちです。そして、聖書は天動説を主張していなかったのに、アリストテレスが天動説を主張していたがためにキリスト教=天動説になってしまった原因でもあります。

どうしてこんな人たちが蔓延ったのでしょう?そして、ラファウ曰く、このアリストテレス主義者を転向させるのにどうして何十年もかかると考えたのでしょう。

アリストテレス主義そのものについての解説は哲学者にゆだねるとして、人の回心を促し、考え方の転向を促す専門家である牧師・伝道者として、アリストテレス主義者が蔓延したのかそして、そこからの「パラダイムシフト」がどうして困難を極めるのかそのメカニズムを身近な例を私自信が去年経験したことから解説してみます。

私は聖書の中に真理があると信じています。
そして、その真理は、NHKをはじめオールドメディアが語る真実よりも優れているとも思っています。
その素晴らしい聖書の真理を伝える一貫で私たちの教会では去年、こどもクリスマスパーティーを開きました。
そのパーティーには何十人もの地域の子どもたちとその保護者が集まって下さいました。
そこで、私は彼らに本当にクリスマス(イエス・キリストの聖誕物語)を知ってもらうためにアニメ映画を上映することにしました。
そのアニメは「スーパーブック」というアニメで数年前、NHKのBS第二放送でもクリスマス当日に放映されたことあるアニメです。
私は、アニメを教会で上映する際に、怪しい宗教の洗脳動画ではなくて、NHKでも放映されたことのある信頼のおける動画であることを前置きとして説明し上映をおこないました。
このクリスマスパーティーとアニメの上映会は概ね好評でした。


……
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上記の話、矛盾があるのをお分かりいただけるでしょうか?

本当は私は天下の公共放送NHKを上回るほどの、信頼のおける真理が聖書の中にあることを伝えたいはずだったのです。しかし、聞く聴衆の多くは宗教に対してネガティブなイメージを抱いてしまっており、聖書の真理よりもNHKの方がよっぽど信頼がおけるとおもっているのが現状です。そこでテクニックとして、NHKよりも聖書の方が信頼できるという認識の転換よりも、聴衆のNHKの信頼感をそのまま利用してNHKでも放映されている安心で間違いない内容である聖書のクリスマス物語を伝えることにしました。結果聴衆は、聖書への信頼はNHKより下回るという認識のママ聖書の内容を真実だと認識するようになり、帰ってNHKへの信頼は高まってしまうことになったでしょう。こうなってからだとNHKが語る内容と聖書の語る内容に齟齬が出てきたとき、NHKが間違いで、聖書が正しいとは言えなくなってしまうことはご理解頂けるでしょうか?

そう実はキリスト教というのは今から1900年前に上記とおんなしことをやらかしてしまったのです。

本当はギリシャ哲学と新約聖書の教えには何の関係もありません。また、ギリシャ哲学には誤りが多く含まれますが、聖書は誤りなき真理があります。(と1900年前に欧州に伝道した宣教師たちは信じていました)しかし、チ。の物語の中に15世紀こそ教会は絶対的な権威と正しいことの代言人のような位置を獲得してしまっていますが、1900年前はキリスト教は怪しい新興宗教だったのです。

そして、イエス・キリストの誕生よりも何百年も前に誕生に学問の祖、哲学の祖とされているプラトン、アリストテレスの方が欧州においてははるかに信頼をえていました。

当時の教父、宣教師、護教家たちは、聖書の真理の正しさを聖書から語ったのではなくて、当時伝道の対象であった欧州の知識人に対して、ギリシャの哲学を用いて聖書の正しさを証明するようなことをしてしまっています。つまりギリシャ哲学よりも聖書の福音の方が優れていて真理を語っているとは語らずに、あなた方も信頼しているであろうギリシャ哲学と近しいことを聖書も語っているのであって、だから聖書のかたる福音もまた正しいといった論法を多用しています。これらが、ギリシャ哲学と聖書の福音どちらも正しく相互補完をするかのような解釈を生み、やがて、ギリシャ哲学の重鎮アリストテレスが提唱した天動説も聖書が支持しているという認識を生み出してしまい、15世紀にいたるまでそれを修正できない状態にいたったのです。

あるものの正しさを証明したいがためにいつのまにた正しくないものを正しいというようなお墨付きを与えてしまうこと…原題においてもアリストテレス主義は日夜うみだされてしまっているのではないでしょうか?

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