出エジプト記11章~12章「この月をあなたたちの正月とせよ」

説教

イスラエルの宗教上の正月はエジプトでの10の災いのうちの最後の災いとその過越しを記念としていました。(※私たち日本人が、旧暦と新暦、さらには4月から始まる「年度」など複数の暦を使いこなすように、イスラエルにおいても、エジプトやバビロンの影響もうけながら複数の暦を使いこなしていました。そのため、イスラエルにはこの宗教上の暦とは別に、民事上、政治上の暦が別途存在します。)10番目の災いはエジプト中の初子の死でした。多くの人にとって、最愛の人であろう大切な存在、自分の初めての子ども(初子)。その存在の死という人生においてこれ以上ないほどの悲しみ。その悲しみを回避する手段として犠牲となる羊が屠られ、その血を木で組み合わされた鴨居に塗り、その家の中にとどまるなら、その最大級の災いを過ぎ越すことができたという故事を記念としているのです。

過越の食事は、割礼を受けたものだけが与ることができるとされ、割礼は、土地のものでなくても寄留者でもだれでも受けることができ、うければ、家族と同様に共に与ることができました。また、その食事に供される羊の骨は決して折られてはいけませんでした。(出12:46)

これ、似ていませんか?いえ、これが雛形だったのです。羊がイエス様、鴨居が十字架、家が教会、割礼が洗礼(バプテススマ)、過越しの食事が聖餐式です。 死という人生においての最大の悲しみ、不条理、この問題の解決のためにイエス・キリストという神の子羊がこの地上に遣わされ、木で組み合わされた十字架上で死に血を流されました。また、キリストは十字架にかかられたにもかかわらず、その足の骨はおられませんでした(ヨハネ19:33~36)。その十字架を掲げる神の家である教会で、家族となるために、バプテスマを受けるなら、だれでも家族「兄弟姉妹」となり、そのバプテスマを受けた家族たちが、イエス・キリストの血と肉を象徴とする食事(聖餐式)に与れるのです。お正月、一年の抱負を考える時期でもありますが、この贖いの出来事をあなたの人生を設計するうえで、基点とせよと神は仰せられます。旧約においてはそれが年の初めの日であり、新約においては週の初めがその日であります。節目の時、新年の抱負を考えるこの時期に皆さんの歩みがこのことを基点としているか省みてはいかがでしょうか?

サムネイルはローレンス・アルマ=タデマ作-「ファラオの初子の死」(1872)

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