Ⅰコリント7章1~16節「既婚者の生き方、お一人様の生き方」

説教

Ⅰコリント7章1~16節「既婚者の生き方、お一人様の生き方」

一昔前は、結婚して家庭を築いて子どもを産むことが「一人前」とされる皆婚社会がありました。かと思えば、その逆に、熱心に信仰する上では性愛や、家族のことなど、世俗のことにとらわれるのは信仰の邪魔という風潮を人間的な宗教は作り出すことがあります。コリントの教会の人たちがパウロによこした手紙にはそういったことが書かれていたのでしょう(7:1)。しかし、パウロはそのどちらにも与しないのです。むしろ、信仰をもった夫婦間で信仰のゆえに肉体関係を持たないなんて言うことをすることによって「セックスレス」になることをパウロは問題視しています。

私たち現代人も一つの価値観、「まず最初に恋愛して、結婚して、出産をする」というのも、近代以降西洋で生まれた「ロマンティックラブ・イデオロギー」という一種のイデオロギーに浴しています
1節には「男は女に触れない『方が』よい」は原文には『方が』は存在しません。そこには訳者の偏りがあるやもしれませんが、パウロは自身の立場を補強するような事すらしません。パウロは、結婚に反対する訳ではなく、結婚をやっかむ訳でもなく、現代人のように恋愛を神聖視するわけでもなく、前章では自由恋愛至上主義を否定し、一方で本章では夫婦間の性愛すら否定する行き過ぎた禁欲主義を否定するのです。そして、2000年前の書物であるにもかかわらず、生き方の多様性を認め、「お一人様」の生き方さえ認めるのです。

さらには本章後半では、婚歴があって現在独身のものや、未信者の配偶者の配偶者を持つ者、様々な境遇をもつ者へのパウロの、そして神様の配慮が見られます。

そこには、あるべき姿を指し示しながらも、現状の追認し、平安であるように勧め、模範的なクリスチャンホームを形成出来なかった者にしか、分からないような後ろ暗さ、やりきれなさを分かってくれているのです。そうです、この姿勢、この姿は主イエスの出生にもかぶるものがあります。クリスマスの時に触れましたが、イエス様は非嫡出子であると陰口を叩かれて来たのです。そして、イエス様の父祖にあたるダビデは不義によって子をなしましたし、ダビデの出身部族、ユダ族の成り立ちも決して誇れるようなものではありませんでした。私たちの主イエスキリストは、決して罪を侵さず、居直りを赦しません。でも罪にまみれた私たちの現実を直視し、その現実に生まれてくださいました。寄り添い、救いの道を用意してくださるのです。

※サムネイルはアンリピエールピクー作「ロミオとジュリエット」

説教の中に出てきた現代人の結婚観、恋愛観であるロマンティックラブイデオロギーという一種の価値観で、日本人から見れば、西洋の価値観、キリスト教の価値観と一緒くたにされがちだが、シェイクスピア以降、近代西洋で作られた価値観で、聖書やキリスト教と直接の関係はない価値観である。

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