マタイ18章15~20節「空気が読めない人のための福音」

説教

マタイ18章15~20節「空気が読めない人のための福音」

以心伝心は日本の美徳とされていることが多いですが、聖書はそれを良いことと評価しません。聖書を読んだ方はご存じのはずです。聖書の中に「気が利く」「気が回る」「気を配る」なんていうことば出てこないことを。そして、「空気を読む」や「KY」なんて言葉もある有名なタレントが言い出した言葉です。しかし、私たちは会社や学校ではこの非言語化された情報である「気」を読み取るために、皆、必死にアンテナを立て、皆で気を使い、皆気疲れしています。

新約聖書マタイ福音書18章は教会戒規の大原則とも呼ばれ、教会の中での弟子たちの修練方法が書かれています。「教会」は主イエスの昇天後使徒言行録2章のペンテコステ以降に出来たものですから、それ以降に教会について言及が多々ありますが、それ以前に「教会」について言及している箇所はこのマタイ18章の他はマタイ16章の「天国の鍵」だけです。マタイ18章は教会誕生以前に、イエス様が、直接教会のあり様について言及なさった極めて特殊な個所といえます。

ここでは、教会の兄弟姉妹の間でトラブルが生じた場合は、
①言葉を用いていうこと、
②ため込まずにまず伝え、解決されない時にはじめて段階的に対応を引き上げること、
③直接当事者間の話し合いで解決すること、解決しない時にのみ「第三者」を介入させ相談すること を勧めています。

対して私たちはどうでしょうか、言葉を用いずに、発言の責任をとらずに、嫌われ者になりたがらずに、相手に「察しさせよう」としていないでしょうか?言葉ではっきり言わないのだから相手がわからなくて当然です。自分の伝え方が悪いにもかかわらず相手が察してくれないことに腹を立てて悶々とそれをため込み、一気に爆発させることはないでしょうか?はたまた、直接言わずにそれを第三者に告げ口、密告していませんでしょうか?聖書は以心伝心を美徳としません。以心伝心を強要しません。空気が読めない人を指弾しません。むしろ、空気を読むことを強要する人を指弾します。ルカ福音書10章38~42節のマルタとマリヤの話を見たとき、私たちの文化背景では気遣いのできるマルタをひいき目に見てしまいますがイエス様のお言葉はただただマリアを擁護し、マルタを非難していることに注目すべきです。

※サムネイルはペルジーノ作「聖ペテロへの天国の鍵の授与」

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