ヨハネの福音書3章1~15節「カクレキリシタンと潜伏キリシタンの違い」

説教

ヨハネの福音書にはユダヤ教の指導者でありながら夜中にお忍びでイエス・キリストに接見に来たニコデモとイエス・キリストの対話が記されています。ある意味ニコデモも「カクレキリシタン」だったのです。ところで2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されましたが、世界遺産に登録されたのは「潜伏キリシタン」であって、「カクレキリシタン」ではありません。この違いをクリスチャンでも知らない人が多いのです。

1.価値があるのは教会堂なのか?

2001年から世界遺産を目指したのですが当初は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という名目でした。和洋折衷の長崎の教会に価値があると思われたのでしょう。しかし、以前申し上げたように教会とは教会堂の事ではなくて、キリスト者の群れのことを指します。また特に開拓期は現地の気候や文化に合わせた会堂が用いられることは当たり前のことであり、現在欧州では歴史ある石造りの教会が逆にイスラム移民のために頻繁にモスクに転用されているので、世界スケールで見れば「瓦葺きの教会」がそれ自体珍しいことではありません。

2.価値があるのはカクレキリシタンの独自の習俗なのか?

次に日本に今も残る「カクレキリシタン」の独特の習俗にスポットを当てようとされたようです。が、これは所謂キリスト教と現地の宗教が混ざってしまって別物の宗教になってしまい、禁教が解かれた後、再びキリスト教(カトリック)に復帰することができるのにもかかわらず、それを拒んでいる人たちのことを指します。混宗というのもこれもまた世界スケールでみれば、特段めずらしいことではありません。(例えばカリブ海に浮かぶハイチのブードゥー教などがそれにあたります。)

3.価値があるとされ、世界遺産に登録されたのはいわゆるフツーのキリスト教信仰を保ち続けたコト、ヒト、モノ

さて、最初長崎県が世界遺産登録をしようとしてから紆余曲折を経て、10年以上をたって登録されたのは、潜伏キリシタンというあまり耳にしないものでした。この潜伏キリシタンというのはなにかというと、250年間も外界のキリスト教と接触できなかったのにもかかわらず、同じ信仰を保ち続け、外部のクリスチャンと接触した時、カトリックに復帰した人たちのことを言います。カクレキリシタンのように独自の信仰・習俗に変異したものが珍しいからといって価値があるのではなくて、隔絶していたにもかかわらず、同じ信仰を保持し告白したことに価値があるとみなされたのです。この潜伏キリシタンは、禁教期間中は隠れているわけですから人目に付きにくいし仮に発見できてもカクレキリシタンと区別はつきにくいでしょうし、キリスト教禁教が説かれてからは潜伏する必要がなくなったわけだから今は潜伏キリシタンとして別個に存在しているわけではない(みなカトリックに復帰している)人たちです。私もクリスチャンとして価値があるのは禁教下で何百年もイエス・キリストは主であるという信仰の内実を保持し続けた潜伏キリシタンこそ価値があると考えます。

 

4.親の心子知らず?!どちらが先祖想いなのか?

クリスチャンじゃない人にはこの感覚がわからないかもしれません。クリスチャンでもわかりにくいかもしれません。少し言い方を変えましょうか?禁教になる直前、つまり戦国末期から江戸時代初期にかけてキリシタンの信仰をもった人たちが仮に今も存命だったとして、その子孫である、潜伏キリシタンと、カクレキリシタンの両方を見たとき、どちらが自分たちの信仰を継承してくれていると思うかという観点から考えて頂きたいのです。きっとカクレキリシタンの方々は親から先祖からこの信仰を引き継いだんだから先祖の為にもカクレキリシタンの様式を守らねばと思って今も守っておられるのでしょう。しかし、ちょっと待ってほしいのです。初代のキリシタンはもともとはいわゆるフツーのオーソドックスなキリスト教、カトリックを信仰したかったのでしょう?それが弾圧されたがために信条を告白する代わりにオラショというノリトのようなもので信条を口伝で伝え、また観音菩薩像の裏にマリア像を掘ったりして信仰を守りましたが、それは禁教下だからそのような様態で信仰を守っただけで、本来ならその変則的な様態を保持したいわけではななくて、他のカトリック教徒と同じ信仰を保ちたかったわけです。そうであれば、信仰の中身が着実に伝承されているのであれば、禁教が解かれれば、オラショではなくて、使徒信条を唱和するはずです。また、マリア観音を拝むのではなくて、大っぴらにイエス・キリストを大っぴらに礼拝できるのですからそうするはずなのです。ところが、形骸化しているというとカクレキリシタンの方には失礼かもしれませんが、250年間の禁教下で守り続けてきた様態、様式、儀式を守ることに固執するならそれはキリスト教の中身を継承したのではなくて、鍵カッコつきの、固有名詞としての、キリスト教とは似て非なる「カクレキリシタン」という別物の宗教を継承し続けてしまっているわけです。

5.ニコデモはカクレキリシタンだったのか、潜伏キリシタンだったのか?

さて、ユダヤ教は本来、やがて来るメシヤ(キリスト)を信じ、それを伝えるために律法を守ってきたはずなのですが、いつしか「ユダヤ教」という外形を儀式を守ることに固執してしまいました。ニコデモは形を守るではなくて、霊的に新しく生まれて神様が本来伝えたかったことを受け取り信じることができたのでしょうか?答えは(ヨハネ19:39)

そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。

そうです。ニコデモは福音書の終盤でキリストの死に接し、もはや信仰を隠すことはしませんでした。人の目を恐れず、世間体を気にせず、イエス・キリストの信奉者としての自分を表明したのです。私たちも主イエスが伝えたかった福音を、初代クリスチャンが信じたその信仰を継承できているか、信仰の内実とは何かを内省してみて頂ければ幸いです。

 

※サムネイルは長崎の大浦天主堂(世界遺産構成遺産)

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