ヨハネの福音書3章16節「聖書の神髄を3行でまとめてみました」

説教

ヨハネの福音書3章16節「聖書の神髄を3行でまとめてみました」

インターネットのスラングに「今北産業」というのがあります。ネットの掲示板で議論しているときに、途中からその掲示板を閲覧し始めた読者が、「今、このページを閲覧しに来ました。最初から経緯を全部読むのはめんどくさいので、3行で手っ取り早く要約しておしえてくれませんか?」というのを省略して「今北産業(イマキタサンギョウ)」というのです。聖書も今から何千年も前の日本から一万キロ西方の中東で起きた出来事を千年以上かけて40人以上の著者が紡いできたものですから、それを知識として理解するのはかなり骨が折れます。しかし、聖書の中に本当に「今北産業」があるのです。宗教改革者ルターをして、ヨハネの福音書3章16節のたった3行のフレーズを「聖書の中の聖書」「福音書の中の福音書」小聖書と言わさしめたのです。この3行の中に聖書のエッセンスが凝縮されています。神様はあなたのことを愛しています。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ここではご自分の「独り子をお与えになったほど」と書かれています。一般に親にとって子は自分の命より大事なものです。その大事なものを差し出してでも、代わりにあなたと愛し愛される関係を構築したいと神様はおっしゃるのです。聖書はその愛の大きさを手を変え品を変え、人間にわかるように語りかけています。ただ、人間はこの世界を愛のない殺伐とした世界に変えてしまいました。毒親なんていう言葉があります。親から愛を受けていない人もいます。その人にはこの聖書の中の聖書の言葉をですから届かないやもしれません。ですから聖書は、イザヤ49:15で親に愛されなかった者への愛を説きます。また、雅歌などは読む方が顔を赤らめてしまうような男女の恋文が書かれています。神の人に対する愛を男女の恋愛に言い換える箇所もあります。しかし、男女の愛に裏切られた人には雅歌のことばは届かないかもしれません。すると、ホセア書では不倫されたサレ夫の再構築を願う寛大な愛を神の愛の寛大さにたとえて語ります。でも中には男女の愛にも恵まれず、子宝にも恵まれなかった人もいるでしょう。そして、人に愛されなかった人がいるでしょう。するとイザヤ54章では配偶者にも愛されず、子どももおらず、人から本来うけるはずの愛を受けれなかったあなたにこそ、神の愛はあると説くのです。そして、今日のヨハネの福音書3章につづいて、来週はヨハネの福音書4章でイエス様は、男女の愛に夢破れたバツ5(推定)の女性に神の愛を説きます。

そう、聖書の神髄とは、愛されたいのに愛のない、愛の枯渇した世界で苦しむ人間に、神の愛、イエス様の愛を信じて受け取りなさいというメッセージ、これだけなのです。

ただ、この神髄をいくら修得しても、その周辺知識1000頁の情報量を習得しても、それを知識として情報として修学するなら、それはあなたの人生に変化をもたらさないのです。あなたの人生に出来事として迫ってこそ意味をなします。たとえば今日は愛、男女の愛、結婚にたとえて話してみましたが、結婚についても情報として、婚姻に関する民法4篇家族法をいくら学んでもそれは情報であり知識に過ぎません。あなたになんの感動もないにあなたの人生が劇的にかわるということはないでしょう。しかし、知識ではなくて、「結婚して下さい」という求婚として、あなたの前にその出来事が迫ってきたらどうでしょうか?ヨハネの福音書3章16節はキリスト教とはこんなもんだという知識、情報としてうけとるのなら、あなたにとって何の変化ももたらしませんが、もし、結婚してくださいというプロポーズのことばと同様に「イエスキリストを信じ、神の愛を受け取ってください」と出来事としてあなたに迫るように、神の愛はあなたに出来事として迫っているのです。その神の愛を信仰として受け取った時、たった3行でもあなたは聖書を会得したことになるのです。

 

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