マタイの福音書 21章1~11節 「イエス・キリスト最期の一週間」

アンソニーヴァンダイク キリストのエルサレム入城 説教
アンソニーヴァンダイク キリストのエルサレム入城

主の復活(つまりイースター)の一週間前の出来事です。イエス様がナツメヤシの葉っぱを用いた民衆に迎えられたのでPalmSunday(棕櫚の主日※当時日本にナツメヤシがなかったため棕櫚は誤訳)と呼ばれます。主イエスはゼカリヤ書9章の預言に従って、不思議な形でロバに乗って、エルサレムの入城を果します。マタイは21:5でゼカリヤ書をヘブル語聖書からではなく翻訳されたギリシャ語七十人訳聖書から引用します。救世主の姿を七十人訳は「柔和な方」といい、日本語訳でも「高ぶることなく」と著しますが、NIVは正しく「lowly」と訳しています。救い主が「卑しく」「みすぼらしい」では不適切と考え翻訳者も、意訳したのでしょう。それは本当の主イエスの姿を使命を分かってない故でしょうがマタイはあえてその訳文を引用します。また主イエスは詩編118編の言葉をもって熱烈なシュプレヒコールの元迎えられますが、それも主イエスの使命を理解していないが故のものでした。主はそれをもあえて受容されました。それは主がご自分の使命を誰にも分かってもらえない孤独に耐えておられたことを後の人々に分かるためでした。主イエスは誰にも理解されないあなたの孤独を分かって下さいます。

サムネイルはアンソニーヴァンダイク作「キリストのエルサレム入城」

※撮影機材の不良により最期の10分が収録されずに終わっています。 (以下、尻切れになった部分の要約メッセージ視聴後にお読みいただければ幸いです。) 今週は受難週ですが十字架上での苦しみをのぞいて最期の一週の間、イエス様はいったい何を苦しまれたのでしょう。それは、自分の死期が極めて差し迫っていてそのことを再三再四、周りの人に伝えているのにイエス様の敵はおろか、本来味方であるはずの弟子たちにさえ、自分の苦しみを「分かってもらえないという苦しみ」が、イエス様を最も悩ませたのではないでしょうか?しかし、ここに福音があるのです。きっとみなさんにも「人に分かってもらえないという苦しみ」があるでしょうけれども、イエス様だけはその苦しみを分かってくださるのです。なぜなら、イエス様こそが一番「人に分かってもらえないという苦しみ」を経験してくださったから同じような苦しみを経験している私たちのことを分かってくださるのです。イエス様だけは私たちの苦しみをすべて担って十字架にかかってくださったから・・・ここにこそ福音があるのです。

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