使徒2章1~21節「あなたの心の中にも神様が住んでくれます」
本日は聖霊降臨節(ペンテコステ)で、クリスマス(降誕節)やイースター(復活節)とならぶキリスト教の三大祝祭です。が、他の二つに比べると認知度が低く、そもそも聖霊とは何かをあまり理解していない人もいらっしゃるでしょうから、聖書の記述からいえる聖霊についてその「最大公約数」的なことをまとめてみましょう。 聖霊は旧約聖書からその存在は記されていました。それこそ創世記1章2節からかかれており、創造にかかわり、啓示したり(イザヤ61:1~6)、人に奉仕する力を与えたり(出エジプト31:1~6)、人の魂を内側から再生したり(詩編51編)していましたが、父なる神さまや御子キリストと同じ三位一体の神様の一位格かどうかまではあきらかにされていませんでした。また、一部の預言者や祭司の心の中だけに住まれた特別な存在でした。 新約聖書においてはイエス様がもう一人の助け主が到来することを何度も明言されました。また御霊が語り(使徒1:16)、教え(ヨハネ14:26)、証しし(ヨハネ15:26)、知り(Ⅰコリ2:11)、みこころのまま行い(Ⅰコリ12:11)、とりなし(ローマ8:26~27)、欺かれ(使徒5:3)、悲しむ(エペソ4:30)との多数の聖書の証言から人格をもっていること、また御霊を欺くこと神を欺くことと同義であるとの宣言(使徒5:3~4)や祝祷(Ⅱコリ13:13)やバプテスマの定式(マタイ28:4)において御父及び御子と並び称されていることから三位一体の神であることも聖書から明らかです。 御霊の働きはキリストが誰で何をなさる方かを弟子に教えて、キリストへ栄光を帰させること(ヨハネ16:7~15)、そして弟子たちがキリストにあってどのような者であるかを彼らに気づかせること(ローマ8:15~17、ガラテヤ4:6)が聖霊の主な働きです。また、私たちの霊の目を見えるようにし(エペソ1:17~18)、私たちを新生させ(ヨハネ3:5~8)、聖さへと導き(ロマ8:14、ガラテヤ5:16~18)、私たちを造り変え(コリⅡ3:18)、確信を与え(ローマ8:16)、主の働きのための賜物を与える(Ⅰコリ12:4~11)。これらの働きが「フルスペック」で開始されたのがペンテコステの朝であり、洗礼者ヨハネも主イエスが聖霊のバプテスマを授けると予告し、終わりの日に神の御霊が注がれるという旧約聖書の約束に基づいたことであり(ヨエル書、エレミヤ31:31~34)、イエス様もたびたび言及していた。
ペンテコステの朝は2重の意味で重要であり、第一にイエス様の再臨を目前にして世界の歴史が最期の時代に入ったことの幕開けをしめしており、第二に、旧約聖書の時代と比べると聖霊の働きと神に対して生きているという経験が著しく促進したことを示しています。
ペンテコステ以前は一部の人にしか与えられなかった聖霊が、ペンテコステ以降全ての信者にあたえられるようになりました。(使徒2:37、ローマ8:9、Ⅰコリ12:13)
※参考文献 JIパッカー著 聖書教理がわかる94章 助け主
※サムネイルは ジョン・レストアウト作「ペンテコステ」
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