ルカの福音書10章25~37節 天国の『近く』までの行き方

善きサマリア人 説教
善きサマリア人

ルカの福音書10章25~37節 天国の『近く』までの行き方

本日の聖書箇所は、一般に「よきサマリア人のたとえ(Parable of the Good Samaritan)」として知られています。善行を奨励する名詞として、good Samaritan law、good Samaritan  Church、やgood Samaritan hospitalとして用られることがあります。またこの中の、神を愛せよ、隣人を愛せよとのことばは、旧約律法にもあり、イエス様の言葉でもあり、教会の標語となることもしばしばあります。しかし、これらのことをすれば立派なクリスチャンの条件を満たしたことになるのでしょうか?このたとえはどのような文脈で語られたのでしょうか?福音書の並行箇所としてマタイ22章34節~とマルコ12章28節~があります。そして、文脈からこの例話が死者の復活さえ信じないサドカイ派を論破したイエス様を「仲間」と誤信したパリサイ派がイエス様に近づき、問答した中で出てきた話であったことがわかります。そして、イエス様はこのような親切なサマリア人が実際にいたからお話しされたのではなく、実際に存在するわけがない、雲をつかむようなありえない話しとしてこのたとえ話をなさったのです。理想として掲げるのは立派ですが、私たちは神からの戒めを守ることができず、結局は神を愛しとおす事も人を愛しとおすこともできない・・・そのことを思い知らせる目的でこのたとえは語られたのです。これは私の独自の解釈ではなくプロテスタントの最も有名なカテキズムウェストミンスター小教理問答の82問にも次のように次のようにあります。

問、神の戒めを完全に守れる人が、だれかいますか。

答、ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず、日ごとに思いと言葉と行ないにおいて破っています。

ですから、マルコ福音書ではこの律法を遵守しようとしても、その延長線上には天国行きは確約されないので、天国にいけるとは言わず、「神の国から遠くない」とおっしゃっています。

『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。マルコの福音書12章33、34節

では私たちはどうすれば一人前のクリスチャンの条件を満たし、天国に入れるのでしょう。その説明は第一ヨハネの手紙1章8節~2章12節に説明を譲ることにします。

※サムネイルはエメ・モロ作「善きサマリア人」

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