ゼカリヤ書9章9~10節 マイナーな預言書を学ぼう ゼカリヤ書にあるキリスト預言
書かれた時代は紀元前520年ごろ、ペルシャの皇帝ダレイオスの治世の第二年の8月に預言されたことが書の冒頭に書かれています。先月学んだハガイ書の冒頭には同じ年の6月に預言したと書かれているので、ハガイとゼカリヤは預言したのは2か月しか離れていません。両方ともバビロン捕囚後ペルシャからエルサレムへの帰還を許された後の預言者、エズラ記の5章と時代がダブる預言者です。本書は小預言書といいながらも14章もあり、大きく二部に別れています。第一部はゼカリヤがみた8つの夢、幻で1章から6章に書かれており、第二部は9章から始まる託宣、メシヤ預言です。また、7章と8章は第一部と第二部の幕間てきな位置づけになっています。執筆年代も、文書の構成もはっきりしている一方、内容は、キリスト教の教父、ヒエロニムスをして「ゼカリヤ書は聖書の中で最も分かりにくい書である」と言われます。本書は、難解ではあるのですが、新約聖書でゼカリヤ書の引用は70回を超えていて、最もキリスト論的な預言書とも言われています。今回は時間の関係上、第一部の難解な夢分析を割愛し、9章からの第二部に的を絞ります。
第二部はさらに、さらに前後半2つの託宣に別れており、9~11章はおもにキリストの初臨に関する預言、12章~14章はキリストの再臨に関する預言とされています。初臨では、柔和で謙虚な王様がロバに乗ってやってきます。9:9~10、しかしこの王様が突如悪い羊飼いによって11章で拒絶され、銀貨30枚で売られてしまいます。まさに、ロバに乗ってエルサレムに入城され、その後イスラエルの悪い指導者によって、銀貨30枚で裏切者のユダから売り飛ばされた姿が描かれています。実はこの銀貨30枚という数字はこれは出エジプト記21章32節に書かれている、過失致死した奴隷の賠償額で、キリストの決死の覚悟でなされた福音宣教を死んだ奴隷一人分に値踏みするという最大の侮辱を盛って殺されるということまで預言されていたのです。
12章からの預言はキリストの再臨の預言です。10節、11節にはイスラエルの民が悔い改めて立ち返る事が書かれていますが、それは黙示録に預言されているメギドの戦いの時の事ですし、14章には4節には主が再び地上にこられるときにはオリーブ山に来られることが預言され、使徒言行録1章でイエス様がオリーブ山で昇天され、同じ姿で再臨されるとの預言と合致します。現在、エルサレムの東のオリーブ山にはユダヤ教徒の墓があります。この来臨の預言を信じての事です。ゼカリヤの時、初臨も再臨も共に未来の事でした。しかし、現代を生きる私たちには初臨は過去のもの、再臨は未来のものとなって本来ならその解像度は増しているはずです。。ゼカリヤは「主は覚えておられる」という意味です。キリスト者こそ、再臨の希望をもって生きていきたい。
※サムネイルはジョット作「ユダの契約」
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