ルカの福音書10章38~42節人生における優先順位の付け方
ネット上の小話にメキシコ人漁師とアメリカ人ビジネスマンの話があります。
あるメキシコの小さな海辺の村で、漁師が昼前に船を戻してきました。船には大きな魚が数匹、十分な漁獲がありました。
ちょうどそこに休暇中のアメリカ人ビジネスマンが通りかかり、漁師に話しかけます。
ビジネスマン「もう帰るのか? もっと長く海に出れば、もっと魚が獲れるだろうに」
漁師「十分な魚が獲れました。家族の食事にはこれで足りますし、友達にも分けられます」
ビジネスマン「じゃあ、残りの時間は何をしているんだ?」
漁師「少し昼寝をして、子どもと遊んで、妻と一緒に過ごします。夜は友人とギターを弾いて歌いながら楽しむんです」
ビジネスマンは笑って言いました。
ビジネスマン「君は分かっていないな。もっと魚を獲れば、それを売ってお金が貯まる。やがて大きな船を買えるし、従業員を雇える。さらに事業を拡大して大成功できる!」
漁師「それで?」
ビジネスマン「そうすれば数十年後には莫大な富を築ける。引退したら小さな村に移り住んで、のんびり釣りをして、家族と過ごして、友人と歌って暮らせるのさ!」
漁師はにっこり笑って答えました。
漁師「それなら、私は今すでにそうしているのですが」
幸せとは、人生の目的とは何かを考えさせられる笑い話です。マルタのマリアの姉妹は対照的な姉妹でマルタは給仕、応接に手一杯でした。イエス様へのもてなしを何もしないマリアにマルタは腹を立てて、マリアを注意しないイエス様にまで小言をいいます。イエス様は注意されるべきはマルタであるために優しく、しかし、否定を許さない形で2回呼びかけて「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」とおっしゃいました。マリアにとって「必要なこと」は、〇〇です。ではなくて「必要なこと」そのものが主語になっています。これはイエス様から見て人に求めていること、必要なこと、イエス様のMy request は「御言葉を聞くこと」だと宣言しているのです。このお話はマルタタイプ、マリアタイプ等と相対化してお茶を濁すものではありません。そして、「イエス様のおもてなし」という観点に限ってみてもマリアの方がマルタよりおもてなしをしたと聖書は述べていることに気づいているでしょうか?ルカは「神の御言葉に真摯に耳を傾けること」を強調するために、この出来事がベタニアでおきたこともこのきょうだいにラザロが生き返らせるという最大の奇跡を主が行ったことも、それがためにイエス様は殺されるきっかけになったことをルカは触れません。しかし、この出来事はベタニアでおきたのです。そして、マタイ26章やマルコ14章の300デナリ(現在価値だと300万円)相当の香油をイエス様に注ぐという最大限のおもてなしをした女性がこのマリアであったとヨハネ12章で述べている。それほどまでのもてなしをする価値があると彼女が判断できたのも、彼女が神の言葉に耳を傾けたからなのです。 人生における目的の手段、あなたは入れ替わってしまってはいないでしょうか?
※サムネイルはヨハネス・フェルメール作『マルタとマリアの家のキリスト』


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