チ。原作7話を神学してみた。ソクラテスは救われているか?

※サムネイルはグラスとオクジーに来世への不安を煽る異端者 アニメ四話より Ⓒ魚豊/小学館/チ。―地球の運動について―製作委員会 サブカルを神学してみた
※サムネイルはグラスとオクジーに来世への不安を煽る異端者 アニメ四話より Ⓒ魚豊/小学館/チ。―地球の運動について―製作委員会

※サムネイルはグラスとオクジーに来世への不安を煽る異端者
アニメ四話より Ⓒ魚豊/小学館/チ。―地球の運動について―製作委員会

チ。原作7話を神学してみた。ソクラテスは救われているか?

チ。原作7話でオクジーとグラスは刑が執行される異端者の護送を依頼されます。その中で異端者はオクジーのグラスに「お前たちは本当に天国に行けるのか?」と聞いてきます。

さらに異端者は不安を煽るようなことをいいます。第2集p53から引用します。

異端者:2000年前アテナイの老人が毒杯を呷(あお)った惨事から今の哲学が生れた。

1500年前ナザレの青年が十字に磔(はりつけ)られた無念から今のC教を形づくった。

人は悲劇を肥やしに、時に新たな希望を生み出す。

さて、この異端者は一体誰と誰のことを指して発言しているのでしょう。このマンガの舞台は15世紀、今から約500年前です。ということは「2000年前の老人」は21世紀の私達からすれば「約2500年前に生きた老人」の事であり、「1500年前の青年」というは現代からみれば「約2000年前に生きた青年」ということになります。

ですから、後段は分かりやすいですね。2000年前のナザレ(現在のイスラエル北部)で育った青年で十字架にかかった人物でC教(キリスト教)の祖ですから、イエス・キリストのことを指しているのでしょう。

では前段は誰の事を指しているのでしょうか?高校の倫理の授業をちゃんと覚えていればわかるでしょう。「悪法もまた法なり」との名言を残し、紀元前5世紀の都市国家、アテネ(アテナイ)の腐敗した民主主義の犠牲となり、自ら毒の入った杯を飲み干して死刑に処せられた人物。西洋哲学を形作った人で、キリスト、釈迦、孔子と合わせて四聖と並び称されることもある人類史上もっとも偉大な思想家ソクラテスです。

第一章の主人公、ラファウが毒杯を呷って自害したのもこのソクラテスの死をオマージュしたものと思われます。そして、死を前にラファウが引用したのもソクラテスの言葉でした。

第1集の141ページで強がるラファウにノヴァクは

ノヴァク:二千年近くも前の異教徒の言葉だろ! 救世主が誕生する前の暗愚な連中だ。奴らには絶対神も救いもない。そんな言葉がなんになる

と反論していましたね。

そう、作者の魚豊先生はこの当時のホットイシュー、「ソクラテスは救われているか」問題(「高潔な異教徒」問題)を知った上でお話しをすすめていらっしゃることがわかります。

高潔な異教徒 問題とは何か?

さて、マンガの中でC教はキリスト教の中でもローマカトリックの事を指していますが、私はプロテスタントの牧師ですから、プロテスタントの立場「聖書のみ」の立場から考えてみます。ヨハネの福音書3章16節には「御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠の命を持つ」

と書いていますのでキリスト教の信者が例外なく天国にいけるとキリスト教(特にプロテスタント)は考えています。しかし、それは逆も真なりで、「信じていないものは例外なく天国に入ることができない」ことを意味しませんし、聖書もそこまで言及していません。

この聖書箇所から言えることは天国に入れていない人の中に信者はいないということがいえるだけで、イエス・キリストを生前信じていない人のうちどのような人が天国に入れる(と聖書は示唆している)かが問題になります。

たとえば、夭折した赤ちゃんは信仰告白も洗礼もうけれなかったわけですが、だからといって信者でないから地獄行きというのはあまりに理不尽すぎます。ですから、多くのキリスト教徒は聖書に明確に天国行きだと書かれていなくても、神のみもとに帰ったと信じています。

他にも「イエス・キリストを信じます」と信仰告白もせず、また洗礼もうけていない人たちのうちで、単純に地獄に行ってしまったと考えるのは早計だと考えられる人がいます。

例えば紀元前5世紀に生きたソクラテスはどうでしょうか?キリストが生れる何百年も前の人なのでソクラテスをクリスチャンだったと見做すには無理があります。しかし、彼の生き方は非常に高潔で徳の高い生き方をしています。むしろクリスチャンがみならわなければならないことも多くあるほどです。このソクラテスほどの人物をクリスチャンでなかったからという理由だけで天国に入れていないとするのはいかがなものでしょうか?これが「高潔な異教徒」と言い慣わされている神学上の課題です。

聖書にはあの世は天国と地獄以外は明示されていませんが、カトリックでは天国と地獄の間には、ソクラテスのような「高潔な異教徒」や受洗や信仰告白前に死んでしまった赤ちゃんなどがいく、辺獄、煉獄、という、天国と地獄の間の中間の存在が考え出されてきました。前回ご紹介したダンテの中でもでてきます。

詳しくはウィキペディアの「高潔な異教徒」の項を参照ください。

そんなキリスト教神学の問題まで踏まえた上でこの物語チ。は進んでいくのです。

もっとも、クリスチャン出ない人が天国にいっている可能性が論理的にはあっても、使徒言行録4章で使徒ペテロは

あのナザレの人イエス・キリストの(省略)ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

と言明しているので、今を生きる私達があえてイエス・キリストを信じないで天国に行く方法を狙ったり、探したりするのは、聖書が指し示す神様のご計画から大きく反れるので、イエス・キリストを信じることを皆さんにお勧めします。

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