それは本当に全部イスラエルの責任なのでしょうか?報じられないパレスチナ自治政府の腐敗

時事問題

―アッバス90歳再選と、報じられないパレスチナ自治政府の腐敗―

90歳のアッバス議長が、なおも居座る現実

先週、パレスチナ自治政府、(略称PA)の中心勢力であるファタハで、マフムード・アッバス氏が再び議長に選ばれました。

正確に言えば、これはPA大統領選挙での再選ではありません。PAの主流派の政党ファタハの議長としての再選です。しかし、むしろそこにこそ問題の根深さがあります。アッバス氏は現在90歳です。90歳といえば、日本で言えば森喜朗元首相や二階俊博元自民党幹事長に近い世代です。政治家として経験豊富というより、普通なら「そろそろ後進に道を譲るべきではないか」と問われる年齢です。

しかもアッバス氏は、2005年にPA大統領に選ばれて以来、20年以上にわたってパレスチナ政治の頂点に居続けています。本来、PA大統領の任期は4年でした。しかし、その後、実質的な政権交代は起きていません。国政レベルの選挙も長く行われていません。AP通信も、アッバス氏は任期満了後も長く統治を続け、PAでは長期間にわたり選挙が行われていないと報じています。

日本に置き換えれば、小泉政権のころにトップに立った人物が、安倍政権、福田政権、麻生政権、民主党政権、第二次安倍政権、菅政権、岸田政権、石破政権、さらにその後の時代まで、ずっと同じ椅子に座り続けているようなものです。これを民主的で健全な政治体制と呼ぶのは、かなり無理があります。

息子の登用が象徴する縁故主義

今回、さらに注目すべきなのは、アッバス氏本人が議長にとどまっただけではありません。息子のヤーセル・アッバス氏が、ファタハ中央委員会入りしたことです。

ロイターは、ヤーセル氏がファタハの最高意思決定機関である中央委員会に入ったことを、アッバス氏後の後継争いと関連づけて報じています。また、PAは腐敗疑惑、財政危機、内部不満に苦しんでいるとも伝えています。

もちろん、親の子どもだから政治に関わってはいけない、ということではありません。しかし、90歳の長期指導者がなおも地位にとどまり、その息子が重要ポストに上がってくる。これでは「世代交代」ではなく、「家産化」「縁故主義」と見られても仕方がありません。

この構図は、民主主義というより、古い権力構造そのものです。選挙によって国民の審判を受けるのではなく、組織内の人事と派閥の力学によって権力が維持されていく。これがパレスチナ自治政府の深刻な問題です。

パレスチナ人自身がPAの腐敗を見ている

ここで大切なのは、PAの腐敗批判は、イスラエル側の宣伝だけではないということです。パレスチナ人自身が、PAに対して強い不信感を抱いています。

パレスチナ政策調査研究センター、PCPSRの世論調査では、パレスチナ人の多くがPA機関に腐敗があると見ています。2025年の調査でも、実に80%の人がアッバス氏への不満とPAの腐敗認識が非常に強いことが示されています。 また、2026年のArab Barometer関連調査でも、ヨルダン川西岸のパレスチナ人の90%以上が、PA機関に腐敗があると答えています。

つまり、これは外から一方的に貼られたレッテルではありません。パレスチナ社会の内側から出ている不満です。

にもかかわらず、日本のメディアでは、この問題があまり正面から扱われません。どうしても「イスラエル対パレスチナ」という構図ばかりが強調されます。もちろん、イスラエル側にも批判されるべき点はあります。入植地問題、軍事作戦、検問、占領統治の現実など、重く論じるべき問題は多くあります。

しかし、だからといって、パレスチナ自治政府の腐敗、ファタハの長期支配、縁故主義、選挙なき統治まで、すべてイスラエルの責任にしてよいのでしょうか。

筆者はイスラエルびいきではありません

ここで誤解されたくないのは、私は何でもかんでもイスラエルを擁護したいわけではないということです。

イスラエルにも問題はあります。強硬な軍事行動が常に正当化されるとは思いません。ガザの民間人被害について心を痛めない人間であってはならないと思います。パレスチナの人々が苦しんできた歴史も軽く扱うべきではありません。

しかし、公平に見るということは、イスラエルを批判することだけではありません。パレスチナ側の政治的失敗も、同じように直視することです。

イスラエルに責任がある部分は責任として問うべきです。しかし、PAの腐敗までイスラエルのせいにするなら、それはもはや分析ではありません。責任の所在をぼかす物語です。

腐敗した政治がハマス台頭の土壌になった

ハマスの台頭を考えるときにも、この点は避けて通れません。

ハマスは、単に「反イスラエル感情」だけで支持を得たわけではありません。腐敗したファタハ、機能不全のPA、選挙をしない指導部への失望がありました。その怒りが、より過激で危険な勢力に流れ込んだ面があります。

過激派は、しばしば「既存政治の腐敗」を利用します。「あの連中は腐っている。われわれこそ本物の抵抗だ」と訴えます。ファタハやPAが信頼を失えば失うほど、ハマスのような組織が「清廉な抵抗勢力」のように見えてしまうのです。

もちろん、だからといってハマスが正当化されるわけではありません。民間人への攻撃を含む暴力を正当化する組織を、単なる「抵抗運動」として美化することはできません。しかし、ハマスの支持が伸びた背景には、イスラエルとの対立だけでなく、パレスチナ内部の統治不信があったことは見落としてはなりません。

日本に置き換えれば分かりやすい

たとえば、日本の隣国である韓国やフィリピンで、長期政権、汚職、縁故主義、政治の機能不全が積み重なったとします。その結果、対日強硬の過激な暴力主義団体が勢力を伸ばし、日本国内でテロを起こしたとします。

そのとき、日本はこう言われるべきでしょうか。

「その国の政治が腐敗したのも、過激派が台頭したのも、全部日本の責任だ」

もちろん、日本がその国に不当な圧力をかけていたなら、その点は批判されるべきです。しかし、その国の指導者が選挙をせず、腐敗を放置し、身内を登用し、国民の信頼を失った責任まで、日本が丸ごと背負わされるなら、それはおかしな話です。

パレスチナ問題でも同じです。イスラエルを批判することと、パレスチナ側の統治責任を問うことは、両立します。むしろ両方見なければ、公平な理解にはなりません。

パレスチナびいきが「贔屓の引き倒し」になっている

日本のマスコミの多くは、おそらくパレスチナの人々に同情しているのでしょう。それ自体は理解できます。軍事力の差、民間人被害、難民の歴史を見れば、弱い立場にある人々に心を寄せるのは自然なことです。

しかし問題は、その同情が「贔屓の引き倒し」になっていないか、ということです。

本当にパレスチナの人々を思うなら、PAの腐敗を隠してはいけません。ファタハの長期支配を黙認してはいけません。アッバス氏の90歳再選と息子の台頭を、「内政事情」として軽く流してはいけません。

腐敗した指導部を批判しないことは、パレスチナ人を守ることではありません。むしろ、腐敗した権力者を温存することになります。パレスチナの一般市民が苦しんでいるなら、その苦しみの原因はイスラエルだけではありません。自分たちの上に居座る指導層の無責任もまた、大きな原因です。

片目で見る報道から、両目で見る報道へ

イスラエルにも責任はあります。これは明確に言うべきです。

しかし、すべてがイスラエルの責任ではありません。PAの腐敗、ファタハの縁故主義、選挙なき長期支配、そしてハマスの暴力主義。これらをきちんと論じなければ、パレスチナ問題の全体像は見えてきません。

片方だけを悪者にし、もう片方の問題には目をつぶる。それは正義ではありません。報道でもありません。ただの物語です。

本当に公平に見るなら、イスラエルの問題も見ます。同時に、パレスチナ自治政府の腐敗も見ます。ハマスの暴力も見ます。そして、パレスチナの人々が本当に必要としているのは、腐敗した古い指導部を免罪する報道ではなく、彼ら自身がまともな政治を取り戻すための誠実な視線ではないでしょうか。

アッバス90歳再選は、一つの政党人事にとどまりません。それは、パレスチナ政治がいまだに世代交代も民主的刷新もできず、腐敗と縁故主義の中で停滞している現実を象徴しています。

この現実を語らずに、ただ「イスラエルが悪い」とだけ言い続けることは、パレスチナのためにもなりません。むしろそれは、パレスチナびいきのつもりで、パレスチナ社会の本当の課題を見えなくしてしまう「贔屓の引き倒し」なのです。

 

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