ヨシュア記 第2章1~14節「遊女ラハブの信仰」

ヤコブの手紙の第2章25節に、ラハブのことが語られています。「同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか」。ヤコブの手紙は、ラハブの信仰が、行いを伴うまことの信仰であったと言っています。私たちはラハブの信仰からまさにそのことを学ぶべきです。彼女は、主なる神こそがまことの神であらせられることを、ただ信じただけでなく、具体的にその主なる神のもとに身を寄せ、依り頼んだのです。彼女がそうしたのは、自分たちが陥っている危機をはっきりと、逃れようのないものとして意識していたからです。エリコの人々はイスラエルの民のことを聞いて恐れ、おじけづいていました。しかし彼らはその恐れの中で、自分たちの神々に助けを求め、城門を固く閉ざしました。自分の世界に閉じこもっていることで、何とかこの危機が過ぎ去るのを待とうと思ったのです。しかしラハブだけは、そんなことが何の役にも立たないことを知っていました。そして、救われるための唯一の道を、身の危険を顧みず、勇気をもって選び取ったのです。何故そうすることができたのか、それは彼女が、自分たちに迫っている危機が、人間からのものではなく、生きておられるまことの神からのものであることを感じ取っていたからです。天地の造り主であり、世界の支配者であるまことの神が自分達に向かって来ている。そのことを彼女ははっきり意識したのです。そのまことの神に直面する時、人間の力や、人間が造り出した神々の力は何の役にも立ちません。生きておられるまことの神からの滅びを免れる唯一の道は、その神を信じ、従い、身を委ね、依り頼むことです。彼女はその道を選び取り、そして具体的な行動をもってその神に身を委ねたのです。

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