使徒言行録 第20章6~12節「なぜ『日曜』に礼拝するのか?」

旧約の時代においては「安息日(土曜)に礼拝をせよ」という律法はあるのですが、「日曜日に教会で礼拝しなさい」という明示的な聖句は新約にも旧約にもありません。あれば、その聖句を引用して、「ほら、ここに書いてあるのだから日曜礼拝に来なさい」とハッパをかけることができたのでしょうが(笑)、今ではそれも神様の配剤と捉えています。
ではクリスチャンが日曜に礼拝するという習慣がいつごろできたかといいますと、それはかなり早い時期であります。本日の聖書箇所をみても分かりますようにトロアスにパウロ一行が着いたのが月曜日なので、どうせなら、一週間滞在して日曜日に現地の人と聖餐式礼拝をしてから出発しよう、パウロも現地の教会のクリスチャンも考えたことが推察できます。
当時の日曜はまだ休日ではなく「平日」でした。そう、日曜礼拝とは「ノルマ」でもなければ多くの人が休みでみんなが集まりやすい「都合のいい日」でもなかったのです。キリスト者が神への「愛の応答」としていつ礼拝すべきかと考えた結果、主イエスが復活した日、トマスに主が顕現された日、聖霊が降臨した日、すなわち日曜日にこそ礼拝しようとした結果なったのです。
この素晴らしい日曜礼拝の慣習(奇蹟)は今も廃れることなく続いています。

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