バプテスト教会らしい場景・・・信徒メッセージ

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バプテスト教会らしい場景・・・信徒メッセージ

バプテスト教会の良い慣習として、第五週の日曜日には講壇が信徒にも開かれます。この1月の第5週にもそれは礼拝のなかで執り行われました。
そこでは牧師の説教ではなくて、一般信徒の方が講壇に立ち、自分が救われた証や最近、信仰生活の中で教えられたことの他の教会員に対して分かち合います。

講壇で語ることには説教免許が必要であったり、按手が必要である教派もあるのですが、このように我孫子教会では講壇が教会員すべてに開かれています。
「万人祭司」と言って、牧師も信徒も等しく、教職者が必要以上に権威付けされないという考え方はプロテスタント教会全体がもちあわせているのですが、中でもバプテスト教会は「会衆制」といって、その理念を徹底し、より民主的に運営されるための良き伝統、慣習が、こういうところにも残されています。

そして、我孫子バプテスト教会ではその伝統が会堂のつくりにも表されています。なんと講壇がそもそもないのです。教卓は確かにあるのですが、舞台のように一段高くはなっていないのです。会衆の席と高さが同じでフラットなのです。講壇(教卓)の前に立つものは会衆と同じ位置、立場の者が、召しだされ、会衆に向かって神の言葉を語る姿が会堂のつくりにもあらわされているのです。

そして、このような習慣は新約聖書の教会にもあったようですよ。第一コリントの14章の後半を見ると、一般の信徒がそれぞれ、インスピレーションを与えられて、1回の集会の中で2~3人の一般信徒が講壇にたって教えあっていたことが書かれています。決して一部の聖職者たちの「独壇場」ではなかったのです。

 

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