新約聖書マタイの福音書の冒頭はなぜ家系図が記されているのでしょうか?それは、旧約聖書に救い主はダビデの子孫から生まれると預言しているからです。その預言は紀元前586年頃エルサレムが陥落し、ダビデを国父とする王朝、南ユダ王国が滅びる前後に語られたものです。たとえば今から30年前ソ連が崩壊し冷戦が終了し新世界秩序が構築されるときに、中国の台頭を予見した識者がどれほどいたでしょう。人口動態からみれば20世紀末から21世紀初頭にかけては同国が人口ボーナス期を得て伸長することを予想するのは比較的容易であったはずですがそれでも未来の予見は難しいものです。この預言が栄華を極めたソロモンの治世であったならまだしも、国が滅亡するその時に、滅亡する国の王統から救い主が生れると預言することがどれほど荒唐無稽にみえたことでしょうか?しかし、エレミヤは亡国の最中、絶望の淵でその預言を語り、的中させたのです。いや未来予想の「予言」ではなく歴史を支配される神様から言葉を預かる「預言」だからこそなせる業でしょう。エレミヤはこの救い主を「若枝」「ひこばえ」と表現します。ひこばえとは切り倒された切り株の脇からぐんぐんと伸びる枝のことですが、ダビデの王朝という大木が切り倒されても、切り株が死んだわけではなく、その家系から救い主がうまれることを表現しています。
彼自身預言された預言者でした。彼の家系は以下のようなものなのですが
エリ
↓
ピネハス
↓
アヒトブ
↓
アビメレク
↓
アビアタル
・
・中略
・
ヒルキヤ
↓
エレミヤ
サムエル記にサムエルが養父エリについて預言します。(※このエリがエレミヤの遠い遠い500年ほどさかのぼるご先祖さまでもあります)
サムエルに告げられた預言は祭司であるエリに事前に告げ知らされたものでした。(BC1100年頃)(サムエル上2章31~34節)そのしるしとして、エリの子ホフニとピネハスが同日に亡くなりました(サムエル上4章14~18節)ピネハスにはアヒトブという子がおり、(サム上14章3節)大祭司の任務を継続していたと思われますが、その子アビメレクはサウル政権下でダビデを擁護したためにサウル王の不興を買い、一族がみな処刑されます(サムエル上22章9~19節)。アヒメレクの子アビアタルは唯一生き残り、ダビデ政権では大祭司に任命されます。(BC1000頃)(20~22節)、アビアタルはダビデ後継王を選ぶ争いでアドニア王子に就いて新王ソロモンに敗れ、罷免され(BC960頃)(列王記上2章26~27節)彼の故地アナトトに追いやられる(ヨシュア21:18)、そして、エレミヤ書の1章1節にエレミヤはアナトトの祭司の子とある。預言は継続し、細々と祭司職を続けていたのです。このことまでサムエル記の2章の時点でエリに預言されています。
彼自身、預言者の召命をうけることは戦慄を覚えたはずです。キリストの預言は旧約聖書にどこで、誰から、どのように生まれ、どのような人生を歩み、どのように死に、どのように葬られるかまでが旧約聖書あちこちに預言されています。聖書の預言は当て物のような当たるも八卦当たらぬも八卦という類のものではなく、歴史を差配される全知全能の神様によって、私たちが間違いなく確かにキリストを信じることができるために預言者に託された確かなものであります。この確かに預言に基づいて
今回のメッセージの急所である
ピネハスの行状が悪いがためにエリに告げられた預言(サムエル上2:31~34)を読まずに割愛し、
逆に、ピネハスたちの悪い行状がかかれたそのものの個所(サムエル上2:12~17)を割愛せずに読み上げたので少し分かりにくくなっています。申し訳ありません。
サムネイルはレンブラント作「エルサレムの滅亡を嘆くエレミヤ」
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