ヨハネの福音書 7章37~52節「キリストはあなたの心の渇きを潤す」
7章37節でいう祭りとはユダヤ教の三大祭の一つ仮庵祭のことです。レビ記23章34~43節に規定があります。出エジプトの旅路で神様がその道中を守ってくださったことを記念する祭りで、エルサレムの神殿があった主イエス在世当時はシロアムの池から水を汲み祭壇に捧げる「お水取り」のような儀式も行われました。38節はその儀式を意識し、儀式の素となった出来事メリバの泉(民数記20章1~13節)を意識し、イザヤ書12章3節、58章11節の暗喩が実現することを宣言し、その意味するところは、主イエスがヨハネ福音書3章のニコデモとの会話の中で、また、ヨハネ福音書4章のサマリアの女との会話の中で匂わせていたことで、その伏線回収のために著者ヨハネは50節でニコデモを再登場させています。ヨハネ福音書7章39節の「霊」はローマ書8章11節の「キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」のことを指しています。また、そのことがイマイチ当時の聴衆に伝わらなかったのは、イエスが栄光を受けず、霊が下ってなかったからだとヨハネは説明します。ヨハネ福音書での「栄光」とは1章14節、12章23節からもわかるように十字架による主イエスの刑死をさしています。イエス様が十字架で死んで、聖霊がおりてこられたときに、クリスチャンを通して人から人へのこの泉が伝播することを主は宣言されていたのです。
※サムネイルはパウロ・ヴェロネーゼ作「キリストと井戸端のサマリアの女」
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