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説教

第一コリント15章12~19節「『ナラ』の福音」

イエス・キリストは肉体を伴って復活をしたことを信じてはいるが、クリスチャンは魂が天国にいけるけれども肉体を伴っては復活はしないという信仰を持っている人がいました。案外、こんな考えの人、日本人クリスチャンに多いかも。
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マタイ18章15~20節「空気が読めない人のための福音」

マタイ18章15~20節「空気が読めない人のための福音」以心伝心は日本の美徳とされていることが多いですが、聖書はそれを良...
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イザヤ43章1~7節「新しいことをなさる主」

この聖書個所、この説教題をもって、10日前、本年のバプテスト同盟の総会がありました。ですから、同じ説教題、同じ聖書個所を...
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第一コリント14章1~25節「わかりみが深いメラビアン」

第一コリント14章1~25節「わかりみが深いメラビアン」異言とは恍惚状態に陥り、聴衆にとって理解不能な外国語で語りだした...
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列王記上19章1~18節「引きこもりになった預言者」

1998年WHOの健康の定義として身体的、精神的、社会的健康に加えて霊的(宗教的・スピリチャル)な健康も必要であると定義されました。引きこもりは英語でもHikikomoriといわれます。それほどに日本人、日本社会に多い病理なのでしょう。
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第一コリント書13章1~13節「愛の章 結婚式で読まれる章節です」

コリント書13章は結婚式でよく引用される箇所ですが、この箇所は実は愛そのものを語りたかったのではなくて、、教会の中で信仰の強者の目立つ才能が持てはやされる傾向があり、パウロはその傾向に釘を指したかったのです。
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第一コリント書12章12~31節「キリストのからだなる教会」

メンバーシップについても誤解しているのではないでしょうか?12章では教会共同体を「体」にたとえていますが、パウロは例えというより、教会は共同「体」、本当にからだなんだと言っているのです。14、18、26節等に度々でてくる「部分」と訳されいるメレーというギリシャ語は、欽定訳聖書ではそのまんま、memberと訳されています。
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第一コリント書11章17~34節「聖餐式(ミサ)が儀式になる前の話」

本日の招詞Ⅰコリ11章27~28節は聖餐式でよく朗読される箇所ですが、果して本当に、招きのことばとして私たち正しく受け取...
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使徒言行録10章34~43節「あなたのイメージする神は小さすぎる」

あなたのイメージする神は小さすぎるペンテコステの今日は新約聖書の使徒言行録(使徒行伝)を皆さんとともに味わいたいと思いま...
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第一コリント書10章1~13節「神は乗り越えられない試練を与えない?」

第一コリント書10章1~13節「神は乗り越えられない試練を与えない?」日本のあるフィギアスケートや、水泳のオリンピック選...