Ⅰコリント 3章18~23節 「神のジャイアニズム?」

説教

Ⅰコリント 3章18~23節 「神のジャイアニズム?」

バプテスト同盟に加盟する教会は毎年2月の第一週をバプテストデーとして記念しています。これは今から約150年前の1873年2月7日、(※まだキリスト教禁教の高札が掲げられていた時期です。)に横浜に日本で最初にバプテストの宣教師が到着し、活動し始めたので、そのことを記念してバプテストデーとしています。

今日の日本のバプテスト同盟とそれに加盟する諸教会があるのは、アメリカンバプテストの先達たちの献身的だ奉仕があったからこそであります。 しかし、はからずも、そのバプテストデーにコリント書の3章の末がテキストとなったことの意味も合わせて覚えたいのです。バプテスト教会がなぜ、繁栄したかといえば、それは徹底した聖書主義と神の恩寵によると言えるでしょう。もし、バプテストがキリストでなく、バプテストの宣教師とバプテスト派であることを持って誇りとするならば、本日のテキストでいうことろの「自分を欺く」者になってしまいます。

本日の聖書テキストで、パウロが戒めているのは、パウロも、アポロもケファも宣教において偉大な功績を残した、「知恵のある者」かもしれないが、それも、大本である、土台であるイエス・キリストの十字架があってのことであって、その土台を忘れて、土台の上に建てられた信仰の偉人のありがたがるようではいけないというのです。

そう、その聖書の言葉を今日のバプテストデーの文脈に適応するならば、バプテストに連なる信仰の先達もまた、確かに知恵者で、確かに信仰の偉人かもしれませんが、それをキリストの十字架よりも優先して有難がるようであれば、キリストのカラダをバラバラにしてしまうことになってしまうのです。

特にパウロの言い回しの21~23節は圧巻で、

21ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 22パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、 23あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

上記の聖句の意味するところは、信仰の偉人であるパウロ、アポロ、ケファにつくものになってパウロ派、アポロ派、ケファ派を形成して人間を崇め奉るようではあってはならない、そのような●●派をつくるくらいなら、その先達につくのではなくて、逆に信仰の先達を自分につけて、信仰の偉人の功績を「自分のもの」にしてしまえ。そして、その「自分のもの(自分派)」を丸ごとキリストのもとにもっていき、キリストに吸収合併してもらって、キリスト派にしてもらえ そうすれば教会の分派分裂はなくなるわ というのです。

本日の説教題に含めた「ジャイアニズム」とはドラえもんにでてくるキャラクター、ジャイアンのセリフ「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」といういう、理不尽な主張に由来しますが、この主張を人がするとまったくもって自己中心であり、争いの元になってしまいます。しかし、この主張をすることが唯一正統な方がいらっしゃいます。天地万物を創造された神です。パウロもアポロもケファもバプテストの宣教師も私たちクリスチャンが活用すべきものであり、それは私がキリストのもの、神のものだ。ただキリストによって一致せよとパウロは語ります。

確かにそうです。この我孫子バプテスト教会、人数は少ないですが、だからといって、キリスト者ということ以外になんの一致がありますか?男もいれば女もいる、性別で一致できません。高所得者もいれば低所得者もいます。生活水準で一致できません。関西人もいれば関東人もいる。出身地で一致もできません。私たちの中のただ唯一の共通項はイエス・キリストを主と告白したクリスチャンであるということです。

さて、一見するとキリストだけを見上げて覚えよという、コリント書3章の言葉と、バプテストデーのバプテストの宣教師、信仰の先達を覚えようというのが相矛盾するようにみえますがそうではありません。日本に来た最初の宣教師、ネイサン・ブラウンも、ジョナサン・ゴーブルも日本に来て、俺に倣え、俺を崇めよと言ったわけではありません。ゴーブルは日本で最初に口語体のマタイ福音書を翻訳出版しました。ブラウンも漢語を多用する難解な翻訳聖書ではなく、大衆に分かりやすい平易なひらがな聖書を日本で初めて翻訳出版しました。

そう、バプテストの先達は、聖書に忠実であろうとし、キリストに忠実にあろうとしました。そして、「救いはここにある」と確かに聖書をキリストを指さしたのです。その意味ではパウロもケファもアポロもキリストを指さしていたのです。しかし、私たち後進の間違いやすいことはその偉大な信仰の先達が指をさした先である聖書やキリストに目をとめるのではなくて、指をさした人そのものに注目し、それを有難がってしまう弱さがあるということではないでしょうか?

これからも先達の指を見るのではなくて、その指が指し示す先のキリストに見上げて歩もうではありませんか

※サムネイルは著者がドラえもんミュージアムで購入した、「奇麗なジャイアン」のマグカップ

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