ヨハネ5章31~47節「聖書の中にある永遠のいのち」

説教

ヨハネの福音書5章31~47節「聖書の中にある永遠のいのち」

裁判でも当事者自身の証言(自白)は証拠能力が低いとされます。複数の第三者の証言があってこそ、証拠能力を持ちます。事実、イエス様は救い主であり、聖書の中心人物でありますが、イエス様はキリストであることを自称されず、また、聖書66巻の中にはイエス様の著作によるような「イエスによる福音書」はありません。おそらく、申命記19章15節を用いてイエス様が天の神様を「父」と呼び、自身を「神の子」とよぶことを「ひとりよがりだ」と非難する律法学者ファリサイ派がいたのでしょう。それに対して、イエス様は複数の証人がいること反証したのが今回のテキストです。

イエス様が挙げた証人は、32節で父、33節以下が洗礼者ヨハネ、36節がイエスの業(奇跡)、37節で再び父、38,39節が聖書となります。32と37節の重複を省くと「証しするもの」は4つ、これに46節のモーセを加えると5つとなります。父なる神様が御子イエス・キリストがあなたが信じるべき救い主だと言っているのです。バプテスマのヨハネが1章29節でイエス様のことを見よ。世の罪を取り除く神の子羊といってイエス様を指し示しているのです。主イエスのなさった奇跡もなんでもかんでも超常現象を起こしたというものではないのです。主イエスは盲人を癒すという奇跡を公生涯で何度かなさっていますが、旧約聖書ではイザヤ35章5、6節でそのイメージだけ語られてるだけで旧約にはその事例が書かれていません。救い主が現れて神様の栄光が表される時代にはそんなこともあるだろうといったことが語られているのです。また、旧約聖書最高の預言者エリヤと比肩する預言者エリシャが飢えた100人をわずかな食料で満たすという100人の給食という奇跡を列王記下で描かれています。四福音書全てで書かれている5000人の給食の奇跡はその50倍の規模のいわば拡大版であり、聖書の読者にはイエスは旧約聖書の最大の預言者エリヤ、エリシャをはるかに上回る至高の存在(すなわちメシア)であることを雄弁に語っているのです。モーセは創世記を含む旧約聖書の最初の5巻を著しました。週報の表にはその創世記に書かれたベンジャミン・ウエストの楽園追放の絵画を印刷しましたがここにもイエス・キリストの予表Typologyが描かれています。

サムネイルは説教の中にも出てきているヴェンジャミン・ウエスト作「アダムとエバの楽園追放」

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