サムネイルはラファエロ作「聖体の論議」
第一ペテロ3章13~17節 キリスト教の疑問に答えて答えて答える。
本日は永眠者記念礼拝です。もしかしたら一年で一番いろいろな境遇の人があつまり、信者の人もそうでない人も集まっているのかもしれません。教会の歴史が長く、納骨堂に安置されている方の境遇も様々、ご家族、ご遺族の境遇も様々です。週ごとに習慣として信者として礼拝をささげに来られている方、クリスチャンとしてなくなった先祖を弔うために、もしかしたら人間関係で義理でという人もいらっしゃるかもしれません。本日は趣を変えて、キリスト教そのものを語るというより、キリスト教に関する疑問について代表的なものについていくつか答えるという形をとらせて頂きたいのです。既に天に召され、納骨堂に葬られたクリスチャンの方の中には自身が教会お墓に入ることによって自分が信じていたキリスト教の福音というものについてご家族に語りきれなかったことについて、この永眠者記念礼拝を機会に福音に触れてほしい、キリスト教に関する疑念、疑問を解消してほしいという願いもきっとあると思うのです。
また、私自身も決して最初からキリスト教を熱心に信仰していたというものではありません。むしろ、ここにいらっしゃる誰よりもキリスト教に疑念に持ち疑問を持っていた者であったという自負があります。そして、「キリスト教の教えの矛盾を見つけてそれをついて牧師さん、神父さんを困らせてやろう」とさえ思っていた人間です。しかし、ありとあらゆる疑問を吹っかけて弁明できる、人生観、世界観、宇宙観、死生観というのものがあり、自分の持っていた「神様を信じる人ってこんなもの」「宗教って所詮こんなもの」というものがいかに薄っぺらいものかというのを痛感させられ、キリスト教の信者になったというよりは、薄っぺらな「神様信じない教」を脱会した破滅的な「自分が神様教」を辞めた結果クリスチャンになったというのが本当の所なのです。
ですから、一生懸命信心している方にその信仰を否定するようなこんな質問してもいいの?というのがあれば、そんな質問こそ垂涎の的なのです。この礼拝の後にでも是非質問してみてください。
キリスト教は2000年間そのような論難を吹きかけられてもなお弁証し続け揺るがず、立ってきたものなのですから


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