ニューハンプシャー信仰告白(私訳)

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ニューハンプシャー信仰告白

johnnewtonbrown

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J・ニュートン・ブラウン著


1833年 初版

※下記訳文はジョン・ニュートン・ブラウンが第8章の悔い改めと信仰についてと、第10章の聖化についてを加筆し、参照聖句を付記した1853年版を元にしています。

第I章 聖書について

私たちは、聖書は神によって霊感を受けた人々によって書かれたものであり、天からの完全な教えの宝であると信じます。聖書は神をその著者とし、救いをその目的とし、誤りを少しも含まない真理をその内容としています。聖書は、神が私たちを裁かれる基準を明らかにし、ゆえに世の終わりまでキリスト者の一致の真の中心であり、人間のすべての行い・信条・意見を吟味すべき最高の規範であると信じます。

(参考聖句:Ⅱテモテ3:16-17、Ⅱテモテ3:15、箴言30:5-6、ローマ2:12、ピリピ3:16、Ⅰヨハネ4:1)


第II章 真の神について

私たちは、生けるまことの神が唯一であることを信じます。神は無限の知恵をもつ霊であり、その名はヤハウェ、天と地を造り、統べ治める至高の主です。聖なることにおいて言い表し得ないほど栄光に満ち、あらゆる尊敬と信頼と愛に値します。神の本質において父と子と聖霊という三位格があり、すべての神的な完全性において等しく、しかも救いの偉大な御業においてそれぞれ調和の取れた役割を果たしておられると信じます。

(参考聖句:ヨハネ4:24、詩篇83:18、ヘブル3:4、ローマ1:20、エレミヤ10:10、出エジプト15:11、詩篇147:5、イザヤ6:3、Ⅰペテロ1:15-16、黙示録4:6-8、マルコ12:30、黙示録4:11、マタイ10:37、エレミヤ2:12-13、マタイ28:19、ヨハネ15:26、Ⅰコリント12:4-6、Ⅰヨハネ5:7、ヨハネ10:30、ヨハネ5:17、ヨハネ14:23、ヨハネ17:5,10、使徒5:3-4、Ⅰコリント2:10-11、ピリピ2:5-6、エペソ2:18、Ⅱコリント13:14、黙示録1:4-5)


第III章 人間の堕落について

私たちは、人間がその創造主の律法のもとに聖く造られたが、自らの意思によって罪を犯し、その聖く幸いな状態から堕落したことを信じます。その結果、すべての人間は今や罪人であり、強制されてではなく自ら進んで罪を選び、神の律法が求める聖さを本質的に欠き、悪へと傾き、したがって弁解の余地もなく正しく永遠の滅びの宣告を受ける者となったと信じます。

(参考聖句:創世記1:27,31、伝道者の書7:29、使徒17:26-29、創世記2:16-17、創世記3:6-24、ローマ5:12,15-19、詩篇51:5、ローマ8:7、イザヤ53:6、創世記6:12、ローマ3:9-18、エペソ2:1-3、ローマ1:18,32、ローマ2:1-16、ガラテヤ3:10、マタイ20:15、エゼキエル18:19-20、ローマ1:20、ローマ3:19、ガラテヤ3:22)

第IV章 救いの道について

私たちは、罪人の救いは全く恵みによるものであり、神の御子の仲保の務めを通して与えられると信じます。御子は父なる神の定めにより、人となって私たちの性質をとられましたが、罪はなく、ご自身の完全な従順によって神の律法を満たし、死によって私たちの罪のために完全な贖いを成し遂げられました。主は死からよみがえり、今は天において御座に着き、神的な完全性と深い憐れみをその驚くべきご人格において結び合わせておられます。それゆえ、主イエスは相応しい、憐れみに富んだ、そして全く十分な救い主であると信じます。

(参考聖句:エペソ2:3、マタイ18:11、Ⅰヨハネ4:10、Ⅰコリント3:5-7、使徒15:11、ヨハネ3:16、ヨハネ1:1-14、ヘブル4:14、ヘブル12:24、ピリピ2:9,14、Ⅱコリント5:21、イザヤ42:21、ピリピ2:8、ガラテヤ4:4-5、ローマ3:21、イザヤ53:4-5、マタイ20:28、ローマ4:25、ローマ3:21-26、Ⅰヨハネ2:3、Ⅰコリント15:1-3、ヘブル9:13-15、ヘブル1:8、ヘブル1:3、コロサイ3:1-4、ヘブル7:25、コロサイ2:18、ヘブル7:26、詩篇89:19、詩篇34)


第V章 義認について

私たちは、キリストがご自身を信じる者に保証してくださる大いなる福音の祝福が「義認」であると信じます。義認とは、罪の赦しと、義に基づいた永遠のいのちの約束を含みます。それは私たちが行った正しい業によるのではなく、ただ贖い主の血に対する信仰によって与えられます。その信仰により、神はキリストの完全な義を私たちに自由に転嫁してくださいます。これによって私たちは、神との最も祝福された平和と恵みの関係に入り、また時と永遠に必要なあらゆる祝福を保証されるのです。

(参考聖句:ヨハネ1:16、エペソ3:8、使徒13:39、イザヤ53:11-12、ローマ5:1-2,9、ゼカリヤ13:1、マタイ9:6、使徒10:43、ローマ5:17、テトス3:5-7、Ⅰペテロ3:7、Ⅰヨハネ2:25、ローマ5:21、ローマ4:4-5、ローマ6:23、ピリピ3:7-9、ローマ5:19、ローマ3:24-26、ローマ4:23-25、Ⅰヨハネ2:12、ローマ5:3,11、Ⅰコリント1:30-31、マタイ6:33、Ⅰテモテ4:8)


第VI章 救いの無償性について

私たちは、救いの祝福は福音によってすべての人に無償で提供されていると信じます。すべての人が心から悔い改め、従順な信仰をもってそれを受け入れることがただちに求められています。地上で最も大きな罪人であっても、その救いを妨げるものは、彼自身の堕落した性質と、福音を自ら拒む意志以外にはありません。そしてその拒絶は、より厳しい裁きを招くことになると信じます。

(参考聖句:イザヤ55:1、黙示録22:17、ローマ16:25-26、マルコ1:15、ローマ1:15-17、ヨハネ5:40、マタイ23:37、ローマ9:32、箴言1:24、使徒13:46、ヨハネ3:19、マタイ11:20、ルカ10:27、Ⅱテサロニケ1:8)

第VII章 新生の恵みについて

私たちは、救われるためには罪人が新しく生まれ変わらなければならないと信じます。新生とは、心に聖なる性質が与えられることです。それは私たちの理解を超えた方法で、聖霊の力と神の真理との結びつきによってなされ、福音に対する自発的な従順を確実にします。その確かな証拠は、悔い改めと信仰、そして新しい生活の聖なる実に現れると信じます。

(参考聖句:ヨハネ3:3,6-7、Ⅰコリント3:14、黙示録14:3、黙示録21:27、Ⅱコリント5:17、エゼキエル36:26、申命記30:6、ローマ2:28-29、ローマ5:5、Ⅰヨハネ4:7、ヨハネ3:8、ヨハネ1:13、ヤコブ1:16-18、Ⅰコリント1:30、ピリピ2:13、Ⅰペテロ1:22-25、Ⅰヨハネ5:1、エペソ4:20-24、コロサイ3:9-11、エペソ5:9、ローマ8:9、ガラテヤ5:16-23、エペソ3:14-21、マタイ3:8-10、マタイ7:20、Ⅰヨハネ5:4,18)


第VIII章 悔い改めと信仰について

私たちは、悔い改めと信仰が神聖な義務であると同時に、切り離すことのできない恵みであり、それは神の霊による新生によって私たちの魂に働くと信じます。その結果、私たちは自らの罪責・危険・無力さ、そしてキリストによる救いの道を深く悟り、偽りのない痛悔と告白と憐れみを求める祈りをもって神に立ち返ります。同時に、心から主イエス・キリストを預言者・大祭司・王として受け入れ、唯一にして全く十分な救い主としてただ主により頼むと信じます。

(参考聖句:マルコ1:15、使徒11:18、エペソ2:8、Ⅰヨハネ5:1、ヨハネ16:8、使徒2:37-38、使徒16:30-31、ルカ18:13、ルカ15:18-21、ヤコブ4:7-10、Ⅱコリント7:11、Ⅰテモテ10:12-13〔※恐らく誤記でⅠテモテ1:12-13〕、詩篇51、ローマ10:9-11、使徒3:22-23、ヘブル4:14、詩篇2:6、ヘブル1:8、ヘブル7:25、Ⅱテモテ1:12)


第IX章 神の恵みの目的について

私たちは、選びが神の永遠の御旨であり、その中で神は恵みによって罪人を新生させ、聖め、救うと信じます。選びは人間の自由意志と完全に調和し、目的に至るための手段をも含みます。それは神の主権的な恵みの最も栄光ある現れであり、無限に自由で、知恵に富み、聖く、不変です。それゆえ選びは誇りを完全に排し、謙遜・愛・祈り・賛美・神への信頼・憐れみの模範的な実践を促します。また、選びは手段を最も熱心に用いるよう励まします。それは福音を真に信じるすべての人において、その結果によって確かめられるものであり、クリスチャンの確信の土台です。そして私たち自身に関してこれを確かめることは、最大の勤勉さをもって追い求めるべきであり、またその価値があると信じます。

(参考聖句:Ⅱテモテ1:8-9、エペソ1:3-14、Ⅰペテロ1:1-2、ローマ11:5-6、ヨハネ15:16、Ⅰヨハネ4:19、Ⅱテサロニケ2:13-14、使徒13:48、ヨハネ10:16、マタイ20:16、使徒15:14、出エジプト33:18-19、マタイ20:15、エペソ1:11、ローマ9:23-24、エレミヤ31:3、ローマ11:28-29、ヤコブ1:17-18、Ⅱテモテ1:9、ローマ11:32-36、Ⅰコリント1:26-31、ローマ3:27、ローマ4:16、コロサイ3:12、Ⅰコリント3:5-7、Ⅰコリント15:10、Ⅰペテロ5:10、使徒1:24、Ⅰテサロニケ2:13、Ⅰペテロ2:9、ルカ18:7、ヨハネ15:16、Ⅰテサロニケ2:12、Ⅱテモテ2:10、Ⅰコリント9:22、ローマ8:28-30、ヨハネ6:37-40、Ⅰテサロニケ1:4-10、イザヤ42:16、ローマ11:29、Ⅱペテロ1:10-11、ピリピ3:12、ヘブル6:11)

第X章 聖化について

私たちは、聖化が神の選ばれた民に保証されている、キリストを通しての信仰のためのものであると信じます。聖化は、神の言葉と聖霊の力によって、聖化された者の中に始められ、進められ、最終的に完成されます。聖化は、悪しきものの支配からの解放を意味し、信仰による聖なる従順の実を生み出します。完全な聖さに至ることは地上では達成されませんが、主が再び来られる日に完成すると信じます。

(参考聖句:Ⅰテサロニケ4:3、Ⅰヨハネ2:29、ローマ8:5、ヨハネ17:17、ヨハネ17:19、使徒20:32、ピリピ3:12-16、Ⅰコリント1:30、Ⅰコリント6:11、ピリピ1:9-11、ピリピ1:6、Ⅰペテロ1:2、Ⅰテサロニケ5:23-24、Ⅰヨハネ5:18、ローマ6:14、ヨハネ8:31-32、ローマ8:1-4、ローマ8:12-13、ガラテヤ5:22-25、エペソ4:20-24、Ⅱコリント7:1、ヘブル6:1、Ⅱペテロ1:5-8、Ⅱコリント3:18、ヘブル12:14、Ⅰヨハネ3:9、ローマ7:18、ローマ7:23、ピリピ3:12、Ⅰヨハネ1:8,10、ユダ24-25、ピリピ3:20-21、Ⅰヨハネ3:2)


第XI章 聖徒の堅忍について

私たちは、真に生まれ変わった者たちは最後まで信仰に堅く立ち、彼らが神の恵みによって守られると信じます。この堅忍は聖徒たちの特権であり義務であり、それは救いの確かさと喜びをもたらします。

(参考聖句:ヨハネ8:31、Ⅰヨハネ2:27-28、Ⅰヨハネ3:9、Ⅰヨハネ5:18、Ⅰペテロ1:5、フィリピ1:6、ヨハネ10:28-29、ローマ8:35-39、Ⅱテモテ1:12、ローマ8:28、Ⅰヨハネ4:4、Ⅰヨハネ5:4-5、Ⅰコリント15:58、ヘブル12:3、ヘブル12:11、ルカ22:32、コロサイ1:21-23、ヘブル3:14、マタイ10:22、マタイ24:13、ローマ13:11、ヨハネ13:35、Ⅱペテロ1:10-11)


第XII章 律法と福音の調和について

私たちは、神の律法がすべての人に義務を課していると信じます。律法は聖く、公正で、良いものであり、人を罪の意識に導き、救い主イエス・キリストに向かわせます。福音は、キリストを信じる者に律法の要求を完全に満たし、彼らを新しい従順へと導きます。このようにして律法と福音は完全に調和し、信じる者の救いと聖化のために共に働くと信じます。

(参考聖句:ローマ3:31、マタイ5:17、ルカ16:17、ローマ7:12、ローマ7:7、ローマ3:20、ガラテヤ3:21-22、ローマ10:4、ローマ8:3-4、Ⅰテモテ1:8-11、ローマ6:14、ガラテヤ5:22-25)

第XIII章 教会について

私たちは、目に見えない普遍的な教会が存在し、それはすべての真の信者から成り立っていると信じます。また、地方においては、福音の時代の教会が、バプテスマを受けた信徒の集まりであり、信仰と交わりをもって契約を結び、福音の教えを守り、礼拝を行い、戒律を守り、神の言葉に従う共同体であると信じます。その正しい権利と義務として、聖職者と執事を選出し、福音の定めに従って行動し、神の御名の栄光をあらゆる時代にわたって表すことが求められています。

(参考聖句:エペソ1:22-23、エペソ5:25-27、コロサイ1:18、マタイ18:17、Ⅰコリント1:1-13、Ⅰコリント4:17、Ⅰコリント14:23、Ⅲヨハネ9、Ⅰテモテ3:5、Ⅰコリント11:2、Ⅱコリント8:5、使徒2:41-42、使徒2:47、Ⅰコリント5:13、Ⅱコリント2:17、Ⅰコリント11:23、マタイ28:20、ヨハネ14:15、Ⅰヨハネ4:21、Ⅰテサロニケ4:2、Ⅱヨハネ6、ローマ16:17-20、Ⅰコリント11:2、マタイ18:17-18、Ⅰコリント5:4-5、Ⅱコリント2:7-8、ヨハネ20:21-23、Ⅰコリント5:6、Ⅱコリント13:10、ルカ1:6、Ⅰテモテ6:14、Ⅰテモテ4:12、Ⅱテモテ3:14-15、Ⅰコリント4:17、Ⅰテサロニケ3:7-9、フィリピ1:27、フィリピ4:8、Ⅰコリント10:31、エペソ3:21)


第XIV章 バプテスマと主の晩餐について

私たちは、キリストの教会の聖礼典はバプテスマと主の晩餐の二つであると信じます。これらは厳密に従うべきものであり、信者のみに委ねられています。バプテスマは、父・子・聖霊の御名によって行われ、水に浸すことによって施されます。それは、信者がキリストの死と復活を象徴的に告白するものです。主の晩餐は、バプテスマを受けた信者が共にパンと杯を受けることによって、主の死を記念し、主の再臨を待ち望むものです。

(参考聖句:マタイ28:19、使徒10:47-48、Ⅰコリント11:23-26、マタイ26:26-29、ローマ6:4、コロサイ2:12、ガラテヤ3:27-28、Ⅰコリント5:11、Ⅰコリント11:28-29)


第XV章 聖日について

私たちは、創造の始めから、神は人間のために一日を聖別されたと信じます。復活の日である週の第一日(主の日)は、新約における安息日として定められ、神の民にとって霊的な休息と礼拝の日です。この日は、世俗的な労働や娯楽を避け、神を礼拝し、心を聖なる事に注ぐことに用いられるべきです。

(参考聖句:創世記2:3、出エジプト20:8-11、マルコ2:27-28、ヨハネ20:19、使徒20:7、Ⅰコリント16:1-2、黙示録1:10、ヘブル4:9-10、イザヤ58:13-14)

第XVI章 市民政府について

私たちは、市民政府が神の定めによるものであり、人類社会の利益のために立てられたと信じます。政府に従い、敬意を払い、祈ることはキリスト者の義務です。ただし、政府の権威はキリスト・イエスの主権に従属しており、信仰や良心の領域においては支配することはできません。信仰に関する事柄では、私たちはただ神にのみ従わなければなりません。

(参考聖句:ローマ13:1-7、Ⅱサムエル23:3、出エジプト18:23、エレミヤ30:21、マタイ22:21、テトス3:1、Ⅰペテロ2:13、Ⅰテモテ2:1-8、使徒5:29、マタイ10:28、ダニエル3:15-18、ダニエル6:7-10、使徒4:18-20)


第XVII章 義人と悪人の区別について

私たちは、神の目に義人と悪人との間に明確な区別があると信じます。義人とは、イエス・キリストに信仰を置くことによって義とされた者であり、悪人とは、悔い改めと信仰を拒み、罪のうちに留まる者です。この区別は永遠にわたって存続し、死後および最後の裁きにおいて完全に明らかにされます。

(参考聖句:マラキ3:18、創世記18:23、使徒10:34-35、ローマ6:16、Ⅰヨハネ2:29、Ⅰヨハネ3:7、ローマ1:17、Ⅰコリント15:22、使徒17:30-31、ヨハネ3:36、イザヤ5:20、伝道者の書3:17、マタイ13:49-50、ルカ12:46、ルカ9:26、マルコ9:48、マラキ4:1、ヨハネ8:21)


第XVIII章 最後の裁きについて

私たちは、すべての人が死後に復活し、最後の裁きの座に立つことを信じます。キリストは生ける者と死んだ者とを裁くために来られます。その時、義人は永遠のいのちと栄光を受け、悪人は永遠の刑罰と滅びに定められます。この裁きは、神の栄光を現すためであり、義人においては神の恵みが、悪人においては神の正義が永遠に表されます。クリスチャンにとってこの望みは、信仰と喜びと聖い生活を励ます最も強い動機となります。

(参考聖句:使徒24:15、Ⅰコリント15:12-58、マタイ25:31-46、ヨハネ5:28-29、Ⅱコリント5:10、Ⅰヨハネ2:28、Ⅰテサロニケ4:13-18、黙示録20:11-15、マタイ13:49、Ⅱテサロニケ1:7-10、ヘブル9:27、Ⅱペテロ3:11-14、Ⅱコリント4:18、マルコ9:43-48)

以上、AIの力も借りながら、私訳してみました。教会の研修会等で利用する場合は許諾入りません。ただし、引用元出展元のホームページは明示してください。

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