創世記49章8~12節 年十二回で学ぶ創世記 ヤコブの預言 

説教

創世記49章8~12節 年十二回で学ぶ創世記 ヤコブの預言

創世記は「初めに」で始まる起源の書ですが、その最初からキリスト預言が散りばめられています。3章15節では、堕落直後の暗闇の中で「女の子孫」が蛇の頭を踏み砕くと宣言され、十字架と復活によるサタンへの決定的勝利が約束されました。(3章15節)アブラハムへの「地のすべての部族はあなたによって祝福される(12章3節)」という約束は、アブラハムの子孫として来られるキリストを通して全世界が祝福されることを示します。22章のイサク奉献では、愛する独り子と代わりの雄羊を通して、神がひとり子イエスをささげてくださる十字架の身代わりが前もって描かれます。28章の「ヤコブのはしご」は、天と地をつなぐ唯一の道、神と人との間の仲保者なるキリストを象徴する幻です。 その流れのクライマックスが49章、ヤコブが12人の息子に祝福を告げる場面、とくにユダへの言葉です。本来長子ルベンに与えられるはずの主権が罪のゆえに退けられ、四男ユダに移されます。「ユダよ、あなたはほめたたえられる」「あなたの父の子らは、あなたの前にひれ伏す」と語られ、王家がユダから出ることが示されます。「ユダは若い獅子」という表現は、力ある王の象徴であり、やがて「ユダ族から出た獅子」と呼ばれるキリストを指し示します。「王笏はユダを離れず…シロが来るまで。国々の民は彼に従う。」という預言どおり、ユダ族からダビデ王家が起こり、その系図の先に真の王キリストが来られ、今やあらゆる国民がこの方を主と告白しています。さらに、ぶどうとぶどう酒のあふれるイメージは、キリストの血潮による罪の赦しと、御国の豊かな恵み、終わりの日の婚宴の喜びをほのめかします。

創世記3章から49章までを貫くのは、約束し、それを歴史の中で成就される神の忠実さです。自分の罪深さや弱さを見てうなだれるときにも、この神は見捨てず、キリストにある救いを備えておられます。この神を信頼し、自分の人生の王座にキリストをお迎えし、決断や価値観、時間やお金の用い方にも「主よ、あなたが王です」と告白して歩みましょう。そして「国々の民」の一人として、日常の小さな会話や仕える行為、祈りと献金、教会の奉仕を通して、このユダのししなる救い主を証ししながら、約束の物語の一部として生きていきましょう。たとえ私たちの目に今の歩みが小さく見えても、忠実な証しはやがて天の国で豊かな実を結ぶことを覚え、希望をもって前進しましょう。そのとき私たちは、創世記から続く神の救いの歴史の中に自分も確かに加えられていたことを、顔と顔を合わせて知るのです。

※サムネイルはランシスコ・デ・スルバラン『ヤコブと12人の息子』のヤコブとユダ

コメント

タイトルとURLをコピーしました