ルカによる福音書1章5~25節「不信仰すら逆用される神」

キリスト降誕の物語は、メシアの到来を待望する熱心な数多の信仰者の祈りから始まる…訳ではありません。老祭司ザカリアの不信仰な呟きからはじまるのです。天使が彼に子どもが生まれると告げたのに、そのお告げを彼自身が、「自分も妻も高齢なので実現するわけがない」といって打ち消してしまったのです。祭司です。創世記のアブラハムとレアの高齢出産の物語をしらない訳ではありません。けれども、だれがザカリアを責めれるでしょうか?聖書記者ルカは彼を「主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」と評しています。ザカリアに迫る現実、冷酷とも思える時の流れが彼を不信仰にさせてしまったのでしょう。これが私たちの生きる世界、これが私たちの信仰の内実です。むしろ、主はそんな世界で、その程度の信仰しか保てない私たちに臨んでくださったのです。非の打ちどころのない信仰者でも不信仰なことを口走ってしまう人間だからこそ、救い主が必要なのです。ザカリアは信じられなかったから、口が聞けなくなりました。裁きの側面もあるでしょう。が、神を呪う言葉をこれ以上言わずに済むという恵みでもありました。また、衆目の中これがしるしとなって処女懐胎したマリアを守ることになります。神はザカリアの不信仰を逆用し彼の涙をぬぐい、力強く救いの計画の進めてくださったのです。

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